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わたしがどの]ようにして

神を知るようになったか

エリック・H・H・チャン

この本をあらゆる問題や状況に直面しても信仰を失わず確固たる信念を持ち、その生き方と証しがわたしの励ましであり続ける、中国にいる全ての使徒たちに捧げます。


目次:

編集者前書き

謝辞

序文

1.   わが青春の夢

2.   神様との出会い

3.   神様とともに歩む

4.   ロンドン時代


編集者前書き

 21世紀に生きるわたしたちは早いペースでいつも多くの些事を追いかけており、ゆっくりと人生について"わたしはたちはどこへむかっているのだろうか?どこへむかっていくべきなのだろうか?"と思いをめぐらせる時間がほとんどありません。"人の限界が神がその人の人生に働かれる始まりである。"というのは多くのひとにとって真実でありますが、だれもが先延ばしにしないで、手遅れにならない前に神様をじかに体験し、知ることができればと思います。

 著者および彼の伝記を紹介できることを大変光栄に存じます。わたしは学生の頃からエリック・チャン牧師のことを知っていまが、彼は過去20年以上に渡ってわたしの霊的指導者であり、助言者でした。これらの年月の間、神がこの忠実な僕を通してなされた働きを見るのは大変な喜びであります。

 わたしがどのようにして神をしるようになったか は現在4章からなっています。123章は1985年にメルボルンで、4章は1998年クアラ・ルンプールでそれぞれエリック・チャン牧師が証しされた中から書き写されました。神様がひとりの人の人生においてなさったことを読むにあたって、わたしたちも神様がわたしたちの人生において同じように働いてくださることを祈るべきだと思います。主の御心によって、エリック・チャン牧師は将来さらに広い範囲にわたって証しされることと思います。オアシス文献ミニストリーは

神の祝福を運ぶ器として用いられることをを光栄に存じております。

われらの救い主イエス・キリストの御名があがめられますように! 

レイモンド・スエン

2000年香港にて


謝辞

 この証しの出版を準備してくださったレイモンド・スエン牧師とテープの原本から大部分を書き写して下さった、彼の親愛なる妻ロザブランカへ心から感謝いたします。また、以前の録音から書き写してくださった方々にもお礼申し上げます。わたしはその方々のお名前を存じませんが、主は確かにご存知であられます。これら全ての方々の働きによって、この証しを出版することができ、その目的はこの証しを通して全てのひとが"真実なかたを知り、そしてわたしたちは、真実なかたにおり、御子イエス・キリストにおる。このかたは真実な神であり、永遠のいのちである。"(ヨハネ第1の手紙第520節)ことを知ることであります。

EHHC

わたしがどのようにして

神を知るようになったか。


序文

あなた方の中に私の主における体験について尋ねる人達がいるので、この機会に私の証しを分かち合うことにいたします。普段私が説教壇に立つ時は神の言葉を説くのが常ですから、これはいささか珍しいことです。今日は私のクリスチャン・ライフのふたつの側面についてお話したいと思います。それは私がどのようにしてクリスチャンになったのかということと、そしてどのようにして主に仕えるものとなったのかということです。間もなくご説明するように、これらふたつのことは私のクリスチャン・ライフにおいて互いに切り離しては論じられない側面であります。

私の証しを聞いている間、あなた方の注意が神様が何をして下さったかということに注がれますように。証しをすることにおいて私が懸念するのは、聞く人の注意が主ご自身よりも証しする本人に集中してしまうことです。もし、あなた方が単に体験そのものに魅了されるだけなら、意味がありません。しかし、もし神様が私の人生において成してくださったことを聞いて、"神様が彼にそのようなことをして下さったのなら、わたしにも同じことをしてくださるかもしれない。"と思うに至ったならば、あなたは私の証しを正しく聞いたことになります。

多くの人々が聖書の中のパウロの体験を読んだ後にこう言います。"使徒パウロのような

偉大な人達だけが豊かに主の御業を体験することができるのだ。神様はパウロにされたようなことを私のためにして下さるはずがない。"もし、それが本当ならそこに書いてあることが全く私たちに当てはまらないのですから、聖書を読む意味はなくなってしまいます。聖書はパウロやエリヤのような偉人の物語を書いた単なる歴史書にすぎないということになります。しかしヤコブはこう言っています。"エリヤは、私たちと同じ人間であった。"(ヤコブの手紙517節)それでもなお、このエリヤは最も偉大な預言者のひとりでした。主はカルメル山での彼の祈りに応えて天から主の火を下らせ、繙祭を焼きつくされました。(列王紀上1838節)主があなたにも同じことをするように望まれたことはありませんでしたか?結局エリヤも私たちと同じ人間だったのです。

 カルメル山での出来事が起こるずっと以前にエリヤはすでにイスラエルの地には数年雨が降らないということを言明していました。(列王紀上17章1節)これは主にそむいたイスラエルに対する裁きでした。そして確かに、カルメル山でエリヤが雨乞いの祈りを捧げたあの忘れがたい日までの3年半の間、主は雨をせき止められました。(列王紀上18章1節、45節)主はひとりの人間を用いられました。イスラエルの民をご自身のもとへ取り戻すために私たちと同じ人間でしかも私たちと同じ弱点を持った人間を用いられたのです。もしあなたもエリヤのように祈るならば、神様は同じく強力にあなたを用いて下さいます。この時代、いかに主とともに歩くべきかを知り、神様に力強く用いられる人々が切に必要とされています。


1

わが青春の夢

私の生い立ち

 まず私の生い立ちからお話しましょう。わたしの父方の祖父は福建に住んでいました。彼は貧しい家の生まれでしたが、なんとか大学を卒業するところまでいきました。(これは当時の中国ではかなりの成功でした。)贅沢な暮らしをすることも出来たでしょうが、彼は福音を伝えるために全てをなげうって長老教会の聖職者になりました。当時聖職者は薄給だったので、彼の3人の息子と1人の娘は比較的貧困な中で育ちました。

 彼の3人の息子はみんなとても成績優秀でしたが、その中でも最も秀でていたのは、長男だった私の父、張天澤でした。わたしの父はクリスチャン・ホームで育てられましたが、霊的なことには特に興味を示さずノン・クリスチャンとして大人になりました。彼は貧乏生活がいやだったので、もっといい生活ができるようになろうと決意しました。平均点が97点だったので試験なしで北京大学に入り、大学の平均点の最高記録を破って卒業しました。それから修士号取得のためアメリカのハーバード大学へ送られましたが、9ヶ月で終了し、ハーバードではあきたらず、博士号取得のためヨーロッパへ行きました。

 彼は驚異的な記憶力を持ち、語学に信じがたい程の才能がありました。単なる楽しみのために語学を習っていました。フランス語をたった3ヶ月勉強しただけなのに、あまりにも流暢に話すのでみんなフランスの大学で勉強してきたのかと思ったほどでした。(実際、彼はほんのしばらくの間パリのソルボンヌ大学で勉強していました。)ドイツ語も習得しようと、ハイデルベルグ大学へ3ヶ月間行きましたが、3ヵ月後にはドイツ語がペラペラになっていました。彼はどんどん高慢になり自分の能力に自信を持っていきました。。ハーバードであれヨーロッパであれ、どこで勉強しても次から次へと奨学金が与えられました。実際、奨学金として受け取ったお金で二人の弟を大学へ行かせたうえにアメリカへファースト・クラスに乗って旅行することができるほどでした。かれは快適ないい生活を味わいました。

 これが私の家族背景です。ひとり息子の私はインテリな父の影響を非常に強く受けて育ちました。わたしの父は知的チャレンジを愛する人であったと同時にまた自分の国を非常に愛している人でもありました。彼の夢は中国を中世から引き上げて、繁栄する近代国家つまり新しい中国にすることでした。彼は中国の再建はまず経済から始め、そして次に軍隊であるべきだと考えたので、経済学を勉強しました。彼は強力な科学的先進国家を築くには強固な経済構造が必要だと信じていたのです。

 またわたしは父の影響で非常に愛国主義的になりました。父はいつも中国の過去の輝かしい時代のことをわたしに話して聞かせました。私の心に反帝国主義的、反植民地主義的思想の種を蒔いたのは父でした。父は他の国々が中国の弱みに付け込んで中国から略奪し、不平等条約を結んで中国を侮辱していることに大変立腹していました。そういうわけで、私は西洋人に対して強い敵意を感じながら育ちました。フランス租界、イギリス租界、日本租界など様々な国家によって分割された上海の街で育ったことで、わたしの反西洋感情はますます助長されました。おそらくあなた方も写真などで見かけたことがあるかもしれませんが、公園の入り口には"犬と中国人は立ち入り禁止"という看板がありました。いたることろに外国人兵士がいました。ある時私はイギリス兵が中国人の仕立て屋を殴ったり蹴ったりしているの見ました。わたしは心の中でこう言いました。"お前達、待っていろよ。いつか近いうちに思い知らせてやるからな!"

私の野心

 私は父の愛国心に共感していましたが、私の野心は彼のとは違っていました。父は強い経済基盤を築くことを力説していましたが、私は強い軍隊を作ることを主調していました。

私はお小遣いを全て軍事科学の本に費やしました。三国志の諸葛亮に魅了され随分勉強しました。

 私は強い体を作って模範を示すことが大切だと感じて武術を習いました。柔道やボクシングの強化訓練でわたしは非常に筋骨逞しくなりました。わたしは体を鍛えるためにあらゆるスポーツをやりました。指導力を身につけるためにわたしは単独で野球(ソフトボール)チームを作って訓練しました。野球のことなど何も知らなかったので、わたしは野球のことが書かれた本を読んで、野球の技術を独学しました。そして同じく野球のことなど何も知らない幾人かの青年を訓練し、2年間で"A"クラスでプレイし、上海のトップチームと戦うまでになりました。我々の秘訣は何だったのでしょうか?それは献身と共同精神〔チーム・スピリット〕です。

 わたしは肉体だけでなく、精神的な面でも、また霊的な面においても自分を訓練しました。わたしは諸葛亮やその他の古代中国の英雄達が天文学や占星術にも非常に長けていたことに気が付いていました。彼らは星を勉強し、多くの驚くべき預言をしました。それでわたしも星を勉強することにしたのです。ある時わたしはアメリカが1941年の終わり頃に大きな戦争に巻き込まれると預言している占星術の本を手にしました。そしてその本の出版された年を見ると、なんと1935年でした!わたしはその正確さにいたく感動したのでその本を勉強して、占星術について多くのことを学び、ある人の顔を見ただけでその人の生まれ月を当てることができるまでになりました。ひとびとはその人自身のことやあるいは出来事などを知る私の能力にとても驚きました。わたしは体験的に占星術がある程度までは本当だということを知っています。確かに偽の星占いで人をだます山師は沢山いますが、本当に占星術を理解している人もいるのです。(もちろんクリスチャンになった時占いやそれに類似したことにかかわってはいけないと聖書で警告されているので、こういうことからはきっぱり手を引きました。)

 わたしは寝すぎていると思い、軍事科学の勉強にもっと多くの時間を費やすために睡眠時間を削りました。これでわたしがどういう人間だったかがおわかりになると思います。とても果断で規律正しかったのです。知的教養、肉体の鍛錬、占星術の知識などで自分の野心を成就すべく着々と準備を整えていきました。

私の反キリスト教感情

 しかし、わたしは父から中国にいる外国人のことについて話して聞かせられたことでさらにどんどん反クリスチャン的になっていきました。父はわたしに、中国にいる宣教師の多くは、宣教をしているふりをしているが、実際は中国各地に送り込まれたスパイで、中国の軍隊や経済の状況についての情報を自国に送り返しているのだと言いました。

 私はまだ小学生だった頃から反キリスト教感情を抱いていました。両親はわたしをカソリックの小学校に入れましたが、それは両親が信者だったからではなく、上海のカソリック・スクールは非常にレベルが高かったからです。悲しいことに、学校でわたしは完全にカソリック信者にうんざりさせられました。大方の神父はいやなやつでした。彼らにクリスチャンらしいところは少しも見られませんでした。冷たくて、愛情のかけらもなく、生徒のことなど全く気にかけていないようでした。カソリックの寄宿学校での生活はまるで監獄のようでした。高い壁があり、窓にはすべて太い鉄格子がはめられていました。私は2回学校から逃げ出しました。全てが権威主義的にコントロールされていました。教室に行く時も、食堂へ行く時も、寝室へ行く時も、いつも列を作って行進させられました。わたしの反キリスト教感情はますます強くなってゆき、わたしが神様を信じることを難しくしました。共産主義者が現れるまでその状態は続きました。

戦時下

 戦時中わたしの父は政府高官として南京で行政を司っていました。南京の父の行政区は独自の王国のようでした。独自の兵隊に警備され、城壁と発電機がありました。父の管理下にいくつかの軍隊があり、2人の将校がいました。(そのうちのひとりはあの有名な孫立人で、のちに台湾の参謀総長になった人物です。)わたしは国民党のもとでほとんど限りない権力を享受して育ちました。わたしはまだ10代の少年でしたが、わたしが通り過ぎる時にはいつも衛兵がわたしに敬礼し、政府の役人がわたしに挨拶をしました。わたしが上海から南京まで旅行する時は高級官僚が上海のわたしの家に迎えにきて公用車で駅まで送りとどけ、南京に着くと、別の役人達がわたしを父のオフィスまでエスコートしてくれました。わたしが享受した特権と権力は若者だったわたしに良くない影響をもたらしました。

 戦争が激化していました。国民党はどんどん南下して行く共産党との戦いに次から次へと敗れていきました。わたしの父は戦うか退くかの決断を余儀なくされました。また一方で、父は国民党の間に広がる腐敗に大変うんざりしていました。多くの国民党軍は半自主的で、中央政府の統制下に属していませんでした。このことが職権濫用につながりました。父は中国にはびこっていた腐敗にうんざりしていました。腐敗に反対する父の姿勢が仲間の政府官僚の間で物議をかもしました。彼の指導者で時の総理大臣だった王雲五が辞職した時、それを機にわたしの父は他の幾人かの同僚と団結して辞職しました。共産党が上海に着く調度直前に彼は政府から退いたのです。

 共産党が来た時、国民党は上海から退散しました。しかしわたしの父は去るのを拒みました。父の友人達は小さな市の市長クラスの役人でさえ処刑されていると父に警告しました。しかし、わたしの父は"わたしの記録にとがむべきことはなにもない。わたしは祖国にそむくようなことは何もしていない。わたしには恥じることは何もない。日本人とも戦ったし、祖国のために奉仕してきた。共産党がわたしを撃ち殺したければそのようにするがいい、ただし、彼らはわたしを何の罪に問うているのかを言うべきだ。"果たして、共産党が上海に来た時、彼らはわたし達を煩わせることは全くありませんでした。毎日人々は処刑されていましたが、共産党本部がスパイからわたしの父について良い報告を受けていたので、彼らはわたし達を邪魔しないでほうっておいてくれたのです。彼らは父の記録を潔白とみなしました。つまり父は祖国、あるいは共産党にすら敵対していると推定されるようなことは何もしていなかったということです。

 後に彼らはわたしの父を共産党政府に奉仕させようとしましたが、父は"忠誠は我々中国人の信条です。ですから、ひとつの政府に奉仕した後に、また別の政府に奉仕することはできません。"と言って断りました。父はこれは半ば言い訳だといっていました。後に彼らは父に北京大学で教鞭をとるように勧めましたが、父はまたその申し出を断りました。しかし、父は中国に残ることを決意していました。なぜなら父は共産党がいかにこの新しい中国を築いていくのかを自分の目で見たかったからです。そういうわけで家族全員が中国に残りました。1952年にわたしの母は深刻な健康問題(結核)のため中国を離れました。わたしの父がとうとう中国を去ることに決めた時、彼らはそれを許可しませんでした。しかし、父は何とか機会を得て、1953年に中国を離れました。こうしてわたしはお金も財産もなく中国でひとりぼっちになってしまいました。あたらしく強力な中国を築くというわたしの夢はいったいどうなってしまったのでしょうか?

弁証法的唯物論に直面して

 わたしはどうするのか決めざるをえませんでした。共産党が中国を牛耳っていました。残りの人生をわたしはどのように過ごせばいいのでしょうか?ひとつの道は共産党に加担して一緒にやっていくことでした。軍隊に入り、党員としての等級を上げていくこともできます。(中学高学年の学生だった私は軍隊ですぐに士官から始めることが出来たので、それはさほど難しいことではありませんでした。)そうすれば共産党軍で何かを成し遂げることもできるかもしれません。

しかし、本当に共産主義を信望していなければ、本物の共産主義者にはなれませんから、わたしにはそのふりをすることはどうしてもできませんでした。しかし、また一方で、少なくとも共産主義にわたしを納得させるチャンスを与えて見るべきではないかとも感じていました。それでわたしは弁証法的唯物論についての共産主義の本と共産党の歴史についての本を読み始めました。いくらか軍事科学の知識を持っていたので、共産党の歴史を非常におもしろいと思いました。というのも毛沢東主席の優秀な軍事戦略がいくつか説明されていたからです。

しかし、共産主義の書物を勉強しても、わたしは共産主義者にはなりませんでした。逆に、わたしは弁証法的唯物論は馬鹿げていて非論理的な教義だという結論に達しました。弁証法的唯物論はわたしをますます共産主義びいきにするどころか、むしろもっと反共産主義的にさせました。(今になって振り返ると、弁証法的唯物論はおそらく後にわたしがクリスチャンになるのに役立ったといえるかもしれません。)討論の授業で共産党青年同盟のメンバーの中にすらそれに同意しないものがいたことがわかりました。ある時、だれかが党のメンバーに生命の源について質問しました。すると彼はこう答えました。"それは簡単だよ。生命は非生命から来たんだ!"わたしは共産主義びいきの学生でさえその答えは不愉快だと感じたことを憶えています。なぜならそんなことが起こるチャンスはとうていないからです。実際、生命が非生命から来ると信じるのは生命が創造されたということを信じるよりもよっぽど強い信仰が必要です。しかしわたしはこれらの問題についてあまり関心がありませんでした。わたしにとって唯一気になっていたのは次に何をすべきかということでした。


2

神様との出会い

大胆で向こう見ずな行動

 何人かが集まって中国から脱出する方法について話し合う秘密の集会を開くようになりました。わたし達はだれかふたり(わたしはそのうちのひとりでした。)が南に行って中国から脱出する方法を見つけ、その抜け道を他のメンバーに教えることに決めました。

 パートナーと私はかなり大胆で向こう見ずなことをしました。わたし達は汽車に乗って広州まで行き、そこでお金を払えば国境を越える道を教えてくれるガイドを探そうとしました。しかし、ガイドは見つかりませんでした。実際沢山のガイド達が難民を装った共産党軍兵士に捕まえられ、みせしめとして処刑されていました。そこでわたしたちはガイドなしで深曙Vまで行って命がけを承知で夜中に国境を越えることに決めました。私達は信仰をもっていませんでしたが、深曙Vに行く前夜になにかとてもいやな予感がしていました。第六感でトラブルに巻き込まれそうな気がしたのです。私のパートナーも同じように感じていました。この予感をどれほど真剣に受け止めるべきなのか私達にはわかりませんでした。わたしは古代中国の記録から人は霊的なことを感じる能力を備えた魂を持っているので戦の時に霊的知覚が重要であることを知っていました。(聖書でも人は霊を持っているといっています。)しかし、わたしたちはこの原理があまりよくわかっていなかったので単なる胸騒ぎだということにしてそれ以上考えないことにしました。

 次の日、わたしたちは深曙Vに向けて出発しました。汽車が深曙Vに着いた時、わたしたちの運命はもはやここまでだと思いました。深曙Vはいたるところ有刺鉄線が張り巡らされ、兵士たちに監視されていました。乗客が下車して通行証を取り出し始めました。わたしたちは香港へ向かう人ごみについて行こうとしました。ほとんどの人が通行証を持っていましたが、わたしたちは持っていませんでした。そこでわたしたちは人ごみを離れて村へ行く道へ向かって進みました。少し行ったところで、私達の前に、ひとりの男性と小さな男の子が34人の兵士に取り囲まれて通行証をチェックされているのが見えました。兵士達が忙しくしている間にその脇をすり抜けようとしましたが、ひとりの兵士に気づかれ、呼び戻されました。わたしたちが通行証を持っていないことがわかると、彼らは身体検査を始めました。運悪く、わたしはまさかの時の自衛のために猟刀を持っていました。彼は威嚇的なステンレス・スチール製のナイフをわたしの顔に突き付けて、何のためにこのナイフを持っているのか尋ねました。わたしはスイカを切るためだと言いました!明らかに彼はわたしの話を信じませんでした。私達は捕らえられてその男性と男の子と一緒に監獄へと追い立てられて行きました。

 牢獄は小さな家で次から次へと重ねられた重い防御柵で囲まれていました。監獄へ近づいていく間に脱獄計画を立てるために周りの様子をじっくり観察しました。遠く離れたところからすでに太い鉄格子のうしろから覗いている人々の顔が見えました。いたるところに兵士が配置されていました。彼らの動きと銃を取り扱う様子から、彼らがとてもよく訓練された軍人であることがわかりました。わたしたちは牢屋に監禁され、指揮官が私達をどうするか決めるのをずっと待っていました。時が永遠のようにだらだらと過ぎて行きました。囚人の間では私たちはおそらく処刑されるだろうとささやいていました。

神様との出会い

 ひとは死に直面すると賢明になり霊的なことに敏感になります。わたしは座ってこう考えていました。"わたしはまだとても若いけれど、もうこれでおしまいのようだ。夢も野心も希望も全て終わってしまうのだ。両親がわたしに何が起こったかを知ることすらないだろう。"わたしはまた考えました。"人生っていったい何なのだろう?わたし達は何のために生きているのだろう?"わたしはいささか絶望的になって自分にこう言いました。"よし、もうぼんやりと座ってはいないぞ!どうせ死ぬなら戦って死んでやる!兵士が私を撃ち殺す前に何人かを道連れにしてやる!"そうしてわたしはどうしたら銃をひったくれるか、ひとりの兵士の動きを観察し始めました。

 突然、一羽の鳥が私の頭上を飛んでいきました。わたしは青い空を見上げて、そこに神様はいるんだろうかと思いました。神様は本当に存在するのだろうか?多くの人が感情的な理由で神様を確かに信じていますが、もし本当に神様がいたらどうだろうか?もしそうだとしたら、わたしは人生で大変な見当違いをしていたことになります。神様が存在するかどうかどうすればわかるだろうか?さて、ここで神様がわたしを救うことができるかどうかを知るチャンスがわたしにやってきました。

 わたしは神様に要求する権利などないことがわかっていました。わたしはクリスチャンではなかったですし、クリスチャンは弱くて愚かだと考えていました。教会の長老がかつてわたしにキリスト教について話しをした時、彼の論旨を覆すのを楽しんでいました。彼が彼の主張を弁明できなかったことが、クリスチャンは感情的にも知的にも弱いという私の信念の確たる証拠だと思っていました。それはわたしにとって神様が存在しないということの証明でもありました。しかし、わたしは間違っていました。長老が彼の主張を弁明できなかったからといって、弁明すべき主張が存在しなかったということにはなりません。わたしは結局、愚かだったのは長老ではなく、自分だったということに気が付きました。結局プライドと自信でいったい何を成就することができたというのでしょうか?ここにこうして石の上に座って命が屈辱的な最後を迎えるのをわたしはただ待っているだけでした。

 わたしは顔を上げて、どうしたら神様を知ることができるのだろうかと考えました。しかし、わたしはかつてクリスチャンをあざけっていたので神様は私に口などきいてくださらないだろうと感じていました。お祈りすらしてみるべきではないかもしれません。しかし、わたしはまた誰かを知るためにはその人と話してみる他に方法はないという結論に達しました。この人生の原則は人に適用できるので、まちがいなく神様にも適用できるはずです。神様に語り、語られる時、神様を知るようになります。そこで、わたしは自分にこう言いました。"とにかくどこからか始めなくては。もし神様が存在するならば、わたしが話しかけた時、おそらく応えてくださるだろう。"

 わたしは天国の扉をノックしていました。わたしはお祈りの仕方すら知りませんでした。しかし、神様に対して正直でなければいけないと思い、こう祈りました。"ああ神様、もしあなたがそこにおいででしたら、あなたが現存している神様でしたら、もしあなたが本当に現実にいらっしゃるのでしたら、今ここにこうしてあなたのもとに来て、わたしを牢獄から救い出してくださるようにお願いします。もし、あなたがわたしを救い出してくださらなければ、わたしは明日死んでしまうでしょう。確かに、このような混乱の中にあってあなたを呼び求めなければならないことを恥ずかしく思っています。また、わたしは自分が望むからといって救われることはできないとわかっております。ですから、もしあなたがわたしを牢獄から助け出して、命を救って下さるなら、わたしはあなたが現存する神であることを知り、残りの人生をすべてあなたに奉仕し、あなたのために生きることを約束します。"もし神様が本当に存在するなら、神様を知り、神様に仕えることは素晴らしいにちがいないと感じていました。これであなた方は何故わたしが証しの初めに、わたしがクリスチャンになったことと私が神様に奉仕することを切り離しては論じられないと言ったのかがお分かりになったでしょう。神様のもとにきた瞬間にわたしはすでに残りの人生をすべて神様に奉仕することを誓ったのです。

 その祈りの後、わたしは何を期待すればいいのかわからずに座っていました。それから何かが起こりました。わたしは天国が開くのを感じました。わたしは神の御前に立っていたのです!わたしはいかなる経験も探し求めてはいませんでしたが、神様が私を包み込んで下さっていることがわかりました。ゼカリヤ書第25節で主はこうおっしゃています。"わたしはその周囲で火の城壁となり、その中で栄光となる。"その時わたしはまったくこの聖句のことを知りませんでしたが、それはまさにわたしが経験したことでした。わたしは心に喜びが溢れ、気が狂ってしまうのではないかと思うほどでした。わたしは喜びのあまり飛び跳ねたい気分でした。いまだかつてこんな気分になったことはなく、まるで酔っ払ったかのようでした。

 聖霊降臨節の気分がわたしには理解できます。使徒たちがあまりにも喜びに満たされていたので、他のひとびとは彼らが酒に酔っているのだと思いました。わたしの顔は喜びで晴れやかに輝いていたに違いありません。というのも、私と一緒に捕まっていたパートナーがどうしてそんなにニコニコしているのかとわたしに尋ねたからです。ちょうど神様に出会ったところだからだと彼に言うべきだったでしょうか?わたしは何と答えてよいのかわからず、ただ何もかもうまくいくから大丈夫だと彼に言いました。彼は"大丈夫ってどういう意味だい?僕たちは銃殺されるんだぞ!"と言い返しました。わたしが彼に大丈夫だと繰り返せば繰り返すほど、彼はもっと怒りだし、大きな声でどなったので、とうとう兵士のひとりが"静かにしろ!話をしてはいかん!"と言いました。

 神様との出会いがあまりにも深遠だったので、わたしには奇跡が起こったのだということがわかっていました。わたしは、この経験はいったいどういう意味だったのだろうかと自問し始めました。それはつまりこう言う意味でしかありえませんでした。神様が私の祈りに応えて私を牢獄から救い出してくださるということです。わたしがこのことを考えている間に李司令官が小さな男の子を連れて逮捕された男性と一緒に戻ってきました。彼はその男性の尋問を終えたばかりでした。兵士が牢屋の扉を開けて、男性を中に押し入れ、ドアをバタンと閉めました。この男性は、おそらく40代だと思いますが、わたしほど重大な罪など何も犯してはいませんでした。武器も持っていませんでしたし、小さな男の子を連れていただけなのです。それなのに神様が自分を牢獄から釈放して下さるなどと考えるのは大胆すぎたでしょうか?

尋問

 わたしは尋問に呼ばれました。士官がわたしを一角に椅子がひとつ(そこにわたしは座るようにと言われました。)ともうひとつの角に机と椅子(そこに士官が座りました。)があるだけの部屋に連れて行きました。わたしは士官と顔をつき合わせるほど近くに座ろうとして、椅子を持ち上げて彼の方に歩いていきました。すると彼は銃を引き抜いてもとの場所に戻るようにとわたしに命令しました。

 彼はわたしに沢山の質問をしました。わたしは何をしていたのか、なにか秘密のグループに所属していないか、何故香港に入ろうとしていたのかなどです。

 わたしは答えて言いました。"正気な人間で誰が香港に行きたいと思うでしょうか?あまりに生活が苦しかったので、わたしはただ深曙Vですこしお金が稼ぎたかっただけです。"彼がいいました。"単刀直入に聞くが、もし香港にいくチャンスを与えてやると言ったら、行くか?"わたしは、"もしそのように聞かれるならば、わたしはハイと答えます。申し出をお受けします。でも、何故そんなふうにおっしゃるのですか?"

 彼は何ページもの報告書を書き留め、終わった時にその書類に指紋を押捺するようにわたしに命令しました。わたしは自分の告白文を読ませてもらえないなら押捺はしないといいました。しかし彼はわたしがそれを読むことを拒否しました。それでわたしは彼にいいました。"わたしは自分の死刑執行礼状にサインすることになるのでしょう?"

 彼は言いました。"それは君次第だ。押捺するのかしたくないのかどっちなんだ?"

 わたしは勝ち目のない状況に追い込まれました。いずれにしても銃殺されてしまうのです。それでわたしは指紋押捺しました。わたしは部屋から連れ出され、それから彼はわたしの友人を呼び入れ"君の友達は何もかも自供したぞ。これが告白文だ。読め!"と言いました。わたしの友人はそれを読んだ後、青ざめて言いました。"なんだって?これを全部自供したのか?"わたしの運命は決まっていました。いまでもまだわたしは自分が何を"自供"したのかはっきりとはわかりません。それでわたしは申し立てにより中国で教会のリーダー達が書いたとされるいわゆる告白文のことを聞くといつも慎重になるのです。

 わたしの友人はわたしが秘密組織のメンバーであることやあれやこれやのことをしたと自供していたと教えてくれました。わたしがやったと申し立てていたことは3回射殺されるのに十分なほどでした!わたしたちは銃殺されるのを待つこと以外何もできませんでした。わたしは告白文を自分の指紋ですでに批准してしまっていたのです。神様はいったいどのようにわたしの祈りに応えてわたしを牢獄から救い出してくださるのだろうかと思い始めていました。

 夜が来てもまだ私たちは食べるものを何も与えられていませんでした。士官が来た時、わたしはついにその時がきたかと思いました。しかし彼は私たちを夜の間小さな部屋に閉じ込めておきたいだけでした。次の朝、彼はまたわたしたちを監獄の庭に連れ戻し、わたしたちは再び同じ石に腰掛けて待ち続けました。午後になって、士官が私を呼んで言いました。"よく聞け。君を投獄することも銃殺することもしない。駅に連れて行って汽車に乗せてやるからここから出て行きなさい。広州に戻ったら、もう二度と通行証なしでここに戻ってくるんじゃないぞ。"わたしは自問しました。"夜の間に何か起こったんだろうか?何故彼はわたしからわざわざ告白文まで手に入れたあとにわたしを釈放するのだろう?これは罠だろうか?"

 彼はわたしを鉄道の駅まで行進させ、汽車に乗せました。広州に着いた時、わたしを待っている兵士はいませんでした。わたしは自分にこう言いました。"やった!これは本当だ!自由になったんだ!いったい何が起こったんだ?"いまでもまだいったい何が起こったのかわたしにはわかりません。わたしは共産党の新生中国のもとで7年間生きて、彼らのやり方に慈悲や親切などないことを知っています。神様が夜の間にこの司令官に何かをして下さったに違いありませんでした。

 さらに、その司令官はこの出来事をわたしの公安手帳に記録すらしていませんでした。中国を旅する時、行動記録を記入する小さな手帳を携帯しなければなりません。例えば、もし上海から広州に旅すると、到着した時警察にその旨を届出なければならないのです。わたしの手帳にはわたしが危険な武器を持って許可証なしに深曙Vの立ち入り禁止地区に入り、逮捕され、死刑かあるいは少なくとも重労働の刑に値する罪を犯したことを自供したと記録されていなければならないはずでした。そんなことがひとつも書かれていなかったことは全く驚きでした。なぜならあの士官は深曙Vの彼のファイルにはその出来事の記録を書き留めていたはずだからです。しかし、彼はわたしの手帳には何も書いていませんでした。もし、彼が書き留めていたら、わたしは今日ここで皆さんの前に立ってはいなかったでしょう。反革命分子としてブラックリストに載せられ、中国から出ることができなかったはずですから。これは わたしが初めて経験した奇跡でした。

神様はわたしを貧乏のどん底へと引き下げられた

 上海に戻った後、わたしはある問題に突き当たりました。それはわたしが残りの人生を全て神様に奉仕すると約束したことでした。わたしは本当ににっちもさっちも行かなくて困りました。この約束はやりすぎだったろうか?多分もう少し易しいことにするべきだったろうか。例えば、残りの人生全て、毎週日曜日教会に行きますとか!多分、全てのことは単なる偶然だったのかもしれない。多分、わたしが釈放されたのは人間にも説明がつくことだったのかもしれない。たとえそうだとしても、あれはたしかに奇跡に他なりませんでした。

 上海での生活はどんどん苦しくなっていきました。非常に寒くなってきました。両親がどこにいるのか全く検討がつきませんでした。お金も底をついてきていました。友人達はわたしから借金を申し込まれるのをおそれてみんなわたしから離れていきました。ほどなくしてわたしにはひとりも友人がいなくなってしまい、残ったのは掃除夫の息子だけでした。以前羽振りが良かった頃、彼がとてもいい青年だったのでわたしは彼と友達付き合いをしていました。しかし、わたしの父は無教育な労働者階級の男の息子とわたしが交際していることをきまり悪く思っていました。とうとう最後に彼がわたしの唯一の誠実な友人だったことが証明されました。彼はわたしが外で眠らなくてもすむようにと倉庫に泊まらせてくれました。わたしはどんどん貧しくなっていきました。食べる物を手に入れるために時計など全ての所持品を売り払いました。これでなんとかあと12ヶ月生き延びることができました。

 神様がわたしを取り扱っておられました。神様はわたしを貧乏のどん底へと引き下げられました。それはまさに文字通りどん底でした。なぜならわたしはひとびとが洗車するのに使う屋外の水道で食器を洗わなければなりませんでしたから。着替えがなかったので服を洗うことも出来ませんでした。わたしの白いシャツはだんだん黄色くなっていきました。わたしはまさに放蕩息子の話を体験していました。神様はわたしが砕かれるように権力と地位の最高峰から貧乏のどん底へと引き落とされたのです。

さらなる神様との出会い

 わたしは世俗的な友人がわたしを見放したとき、クリスチャンはどんな人たちなんだろうかと思い始めました。わたしは教会への長い道のりを、そこでどんなことが待ち受けているのか全く思いもよらずに歩いていきました。神様はご自身の驚くべきタイミングでわたしをちょうど教会の集会の時に着かせてくださいました。わたしがノックした時、ドアを開けてくれたのはなんとわたしがかつてからかっていた教会の長老でした!彼は私のことを覚えていて"エリック!どうぞお入り!"と言いました。彼がとても親切で暖かかったので、クリスチャン達は何かが違っているなと感じました。わたしはかつて彼らをあざけっていたのに彼らが何故少しも苦々しい思いを心に抱いていないのか理解できませんでした。わたしは最初かれらの親切を楽しんでいましたが、間もなく少し疑り始めました。彼らは何か目的があってわたしを改宗させようとしているのではないだろうか?しかし、あとになってわたしは、もし例え彼らがわたしを改宗させたらからといってお金も財産も何もない男から何を得ることができるだろうということに気が付きました。

 クリスマスが近づいた頃、教会のある婦人がわたしに言いました。"もしクリスマスに何も予定がなければ、わたしのところへ教会の家族と一緒にお茶を飲みにいらっしゃいませんか?"

 彼女の招待がまたわたしの猜疑心を掻き立てました。しかしわたしはひもじい思いをしていたので彼女の招待を断わることができませんでした。クリスマスの日がきて、わたしは行こうか行くまいか決めようとして、午後の間ずっと苦しみもがいていました。そろそろもう暗くなってきた頃になって、やっと行くことに決心しました。わたしはあまりにも遅く着いたので、他の客たちはみんなもう帰ろうとしているところでした。わたしはきまり悪く感じて"遅くなってすみません。もうおいとまします。"と言いました。しかし、この婦人はどうしてもお入りなさいとわたしに懇願してくださいました。みんなは家へ帰ってしまい、残っていたのはこの婦人とヘンリー・チョイ兄だけでした。

 ヘンリーは広東人ですが、上海に長く住んでいました。彼は当時の中国ではまだ製造することができなかった特別なインクや写真の化学薬品などたくさんのものの化学式を組み立てた優秀な化学研究者でした。ヘンリーと話し始めるとすぐに彼がどこか違っていることに気が付きました。彼にはある種の霊的な特質がありました。彼は神様について、また神様がどれほど彼にとって現実なものかということを話し始めました。しかしわたしは彼がわたしを改宗させようとしていると感じたので、だんだんと心を閉ざして彼の話を聞くのをやめました。彼は話し続けましたが、わたしはぼんやりと空想にふけっていました。すると突然いまだかつて経験したことのないような強烈な自覚がわたしの心に生まれました。一瞬のうちに神様の霊がわたしのプライドをわたしに自覚させたのです。さらに主はわたしが監獄で約束したことを思い出させられました。その自覚があまりにも強力だったので、それは真実の問題だということを認識しました。こうして今一度わたしは神様に出会ったのです。

 ヘンリーがまだ話をしている間にわたしは言いました。"ちょっと待って!"彼はびっくりして何か悪いことを言ってしまったのだろうかと尋ねました。わたしは"いいえ、そうじゃないんです。今すぐ神様を受け入れたいんです!どうすればいいんでしょうか?"と言いました。

 彼は"まずわたしと一緒にひざまずいて下さい。神様は王の中の王、主の中の主ですから、へりくだって神様の御前に出なくてはいけないのです。"

 ひざまずいた時、わたしは次に何をすればいいのか彼に尋ねました。彼は"一緒に祈りましょう。心から祈ってください。"と言いました。わたしはどのように祈ったらいいのですかと彼に尋ねました。彼は"心の中にあることをそのまま素直に神様にお伝えすればいいのです。罪を告白して神様の慈悲と救いの愛に感謝してください。"祈り始めた時、わたしはその場所全体がゆれているのを感じました。部屋の中のあらゆるものが、まるでだれかがライトを照らしているかのように眩しく輝いて見えました。わたしは基本的に感情的でない人間ですが、それでもなぜそこら中全てのものがぐらぐらとゆれているんだろうかと思いました。こうして、わたしは主にわたしの人生をゆだねました。なにか深遠なことがわたしの身に起こったのです。わたしの全人生が変えられました。神様がわたしの人生に入ってこられたのです。これがわたしの主との長い歩みの始まりでした。


第3章

神様とともに歩む

神様との歩みの始まり

 その時点から、わたしは次から次へと起こる奇跡を通して神様を体験し始めました。わたしの信仰はこれらの驚くべき奇跡によって、また主がいかにわたしの必要をみたしてくださったかということにおいてすら、ますます強められました。一缶の乾燥カブがいつまでたってもなくならないということがありました。いくらたくさん食べてもいっこうにへらないのです。とうとうカブを食べあきた頃、とうとう神様は供給を止めてくださいました。その後、わたしは列王紀上第1715-16節で似たような話を見つけました。"彼女の家族は久しく食べた。主がエリヤによって言われた言葉のように、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えなかった。"これはわたしが経験した多くの奇跡のほんの一例です。わたしはまた神様が用いてたくさんの大いなる奇跡を行われた力強い神の民にも出会いました。(しかしそれはまたそれ自体、大変長い話になるので、今回は時間の都合上省くことにします。)

神様が現実だということがどうしてわかったのですかと尋ねられる時、わたしは"これほど多くの奇跡を経験したあとで、どうしてわからずにいられるでしょうか?"と答えます。

 2年半経って、ある日わたしは神様に尋ねました。"わたしに何をしてもらいたいとお考えですか?もし中国にいろとおっしゃるなら、喜んでそうします。でも、何をすべきか教えて下さい。"

 わたしにできることは限られていました。中国内での仕事は全て政府によって管理されていました。政府の許可無くしては新聞を売ることすらできませんでした。2度中国を離れる許可を申請しましたが、ビザを取ることができませんでした。

 わたしの健康状態は栄養不足のためどんどん悪くなっていきました。ある日わたしは冷や汗をかくのを感じてそれが結核の徴候かもしれないと思いました。わたしの母がかかったのと同じ病気で、母の病状は非常に重く、片方の肺を切除しなければなりませんでした。わたしは無料のレントゲン検査を受けた結果、片方の肺に影があると言われました。しかし、わたしには食べ物を買うお金すらなかったので、薬を買うことはなおさら無理でした。

再検査を受けるために、別の病院へいってもう一度レントゲンを撮りましたが、結果は同じでした。そこでふたつの肺の絵に影のある位置を示す印をつけたカードが発行されました。このカードがあれば政府からの制限をほとんど受けずに中国国内を自由に旅することが出来ました。わたしは北京にいる叔父を訪ねることすら出来ました。何故だと思いますか?というのは質問されるたびに、このカードを見せるだけで自由に行かせてくれたからです。わたしが結核を患っていると思ってだれも近寄りたがらなかったのです。この小さなカードはおそらくわたしが最終的に中国を離れることを許可されたひとつの理由でもありました。

神様はわたしに聞き取れる声で語られた

 ある日わたしが自分の部屋で祈っていた時、声が聞こえてわたしにこう言いました"わたしはあなたを中国から連れ出す。"その声があまりにはっきりと明確だったので、わたしは誰が話しかけているのだろうかとあたりを見回しました。部屋には誰もいませんでした。これが初めて(そしてこれが最後ではありません。)神様がわたしに聞き取れる声で語られたときのことです。(後にわたしはイザヤ書第3021節で"そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。"という箇所を見つけました。)神様からのこのメッセージを受けたあと直ちにわたしは荷造りを始めました。兄弟姉妹達はわたしが出国ビザを取得したのかと思っていましたが、わたしは彼らに"いいえ、まだビザはおりていません。でも、主ご自身がわたしを中国から連れ出すとおっしゃったのです!"と言いました。

 聖書の中には神様が彼の民に語られたというたくさんの類似した話が出てきます。例えば、使徒行伝の中で、主は何度もパウロに語られました。しかし、今日の平均的クリスチャンはあまりにも平凡になってきたので、これらの経験は今となってはとても異常かあるいは奇妙なことだと思われています。問題は正確に言うとどれほど真摯に委ねているかというところにあります。今日、生半可で不熱心な教会員はたくさんいますが、完全に委ねているクリスチャンはほとんどいません。西洋社会の教会は生ぬるく、クリスチャンになることになんの犠牲を払う必要もありません。"自分の十字架をとってわたしに従いなさい。"という言葉は西洋のクリスチャンにとっては全く意味がなくなってきています。この安っぽい薄められた改宗(罪の救済)では神様を経験することも、じかに神様が現実だということを知ることもできないでしょう。しかし、主に完全に委ねた時あなたは神様の奇跡の力を、特にあなたが困難や危機的な状況に直面している時に経験するでしょう。そういうわけで、中国にいるクリスチャンはいつも奇跡を体験するのです。中国でクリスチャンになるには完全に委ねることが必要です。なぜならそれは命がけだからです。わたしも中国でクリスチャンになるために、完全に委ねなければなりませんでした。

どのように神様がわたしを中国から連れ出されたか

 次から次へと奇跡を起こして、神様はわたしが中国から出る道を開いてくださいました。しかし、とうとうビザがおりた時、わたしには国を出るためのチケットを買うお金がありませんでした。さて、どんな風に神様が備えてくださったのでしょうか!突然、わたしの叔父がお金を送ってきてくれました。今までそんなことは一度もなかったのにです。叔父はわたしが中国を出ようとしていることすら知りませんでした。叔父はわたしの父からそのお金を受け取りましたが、もらっておきたくなかったのでわたしに送ったのです。それがちょうどわたしが出発しようとしている時だったのです。神様のタイミングはみごとに完璧です!

 しかし、わたしはもうひとつの問題にぶつかりました。中国を出るビザは取れましたがわたしは香港に入ることができませんでした。なぜなら香港にはあまりにも多くの難民がいたので、英国当局はわたしが第三国へ行くという証明をしない限り入境を認めなかったからです。その問題はかなり長引いて、わたしの出国ビザの期限がもうすぐ切れてしまうところでした。スイス領事が英国領事に電話してわたしの代わりにビザを申請してくれましたが、それも拒否されてしまいました。

 わたしは主の御前に行って、聖書には主が開けたドアは誰も閉じることができないと書かれていますと言いました。次の日、わたしは英国領事館に行きました。カウンターの係りの人に何の用かと尋ねられ、わたしは香港へ入るビザを取りたいのだと 言いました。彼はわたしのパスポートを受け取り、わたしに待っているようにと言いました。そして彼はわたしの書類を持って戻ってくると、どれくらい香港にいるつもりかと尋ねました。わたしは1ヶ月と答えました。驚いたことに、ビザは直ぐに交付されました。

 深曙Vから香港へ橋を渡ったとき、英国人の係官がわたしに尋ねました。"英語は話せますか?"わたしはハイと答えました。

彼は言いました。"君のビザは非常にめずらしい。"

わたしは1ヶ月ビザの何がそんなにめずらしいのかと尋ねました。

彼は言いました。"いや、君のは1ヶ月以上のビザだよ!香港に期間の制限なくいられる許可が出ているんだ。わた自身もこんなビザはいままで見たことがないよ。"

わたしは彼にどうすればいいのかと尋ねました。すると彼は言いました。"つまり、君はいくらでも好きなだけ香港にいていいんだよ!"

結局わたしは香港に9ヶ月滞在し、香港の身分証を取得することさえできました。もしこれが主の計画でなかったとしたら、一体これをどう説明することができたでしょうか?

職探し

 香港でわたしは主に尋ねました。"ここにいる今、わたしに何をしてもらいたいと望んでおられますか?"主はわたしがヨーロッパに行くことを望んでおられるという御意志を非常に明確に示されました。しかしわたしは職もないのにどうしてヨーロッパに行く資金を手に入れることが出来るでしょうか?

 1950年代には、香港に何十万人もの難民がいました。大変な競争の中でどうしたら仕事を見つけることができるでしょうか?しかし、神様のなさることは本当に信じがたいほど素晴らしいのです。ある日わたしは英語から中国語と中国語から英語への翻訳の職に空きがあることを知り、すぐにこの高給な公務員職に応募しました。面接の日が来て、わたしはその職にたくさんの応募者がいることを知りました。わたしは口頭と筆記の試験を受け、しばらくして採用通知を受け取りました。

 それから主はわたしを次の試みに会わせられました。わたしはただ臨時的に働いてヨーロッパに発つつもりでしたが、その職は終身雇用だったのです。わたしは雇用係官に本当のことを言おうかどうか決めるのに苦しみました。もし言えば職を失うことはわかっていました。とうとう最後に正直に話すことに決めた時、わたしは主に言いました。"神様は今までにもたくさんの奇跡を起こしてくださいました。もしわたしがこの職につくことが神様の御心でしたら、雇用条件にかかわらず絶対にそうなるでしょう。"

 わたしは雇用係官に採用されたことを感謝する手紙を書きました。しかし、クリスチャンとして、自分の立場を正直に言わなければならず、ヨーロッパに行くまでの1,2年だけ働くつもりだったと彼に言いました。彼の返信にはこう書かれていました。"正直に言ってくれてありがとう。しかしわたし達は終身雇用のスタッフを探しているので、もしあなたが考え直して1,2年以上働くつもりでなければ残念ながら他の人を採用せざるを得ません。"それではその職を誰か他のひとに回してくださいと言うほかわたしには選択の余地がありませんでした。

 そのように決めた後に、わたしが滞在していたルーテル・ホームにいたクリスチャン達から"なんてバカなことを!香港でどれほど多くの難民が飢えているか知らないのか?"と叱られました。わたしを叱った中のひとりは上海教会の長老をしていた人でした。彼はこう言いました。"若者で厄介なのは彼らが生活の現実を知らないということだ。せっかくいい仕事が見つかったのに断ってしまうなんて。わたしを見てごらん。もう50歳を過ぎていて、同じガス会社で30年以上も働いているが、どれほど稼いでいると思う?君がもらえるはずだった額よりほんの少し多いだけだよ。若者なのにそんなにたくさん稼げるなんて!それを断ってしまうなんて君は本当に気が狂っている!"そのようにわたしはさんざん叱られました。わたしは弁解することなく、ただ全てを主に委ねました。

 こうしてわたしはまた振り出しに戻りました。職もなくどこでヨーロッパに行くお金を手に入れたらいいかもわかりませんでした。ミッション・スクールがわたしに英語教師の職を提供してくれましたが、あまりにも薄給だったので、そこで一生働いても到底ヨーロッパに行くのに十分なお金を貯めることはできませんでした。結局その仕事も実現しませんでした。香港には船が沢山あることに気が付いて、船長たちに甲板員か船室清掃係りは要らないかと尋ねて回りました。船長達はとてもいい人達でしたが、船員は十分足りていたのでわたしを雇うことはできませんでした。しかし神様はわたしのためにすでに計画を用意して下さっていました。神様はわたしの信仰を試しておられただけなのです。

神様の奇跡的な備え

 そうしているうちに、太平洋の向こう側のアメリカ西海岸オレゴン州であるひとりの婦人がひざまずいて祈っていました。神様が彼女に"香港へ行きなさい。そこでやってもらいたいことがあるから。"と言われました。この婦人は多分55歳くらいで、とても裕福な家族の一員でした。彼女はアメリカから一度も海外へ出たことがありませんでした。彼女にとって香港に行くことはまるで月に行くようなものでした。

 彼女は夫に"今日お祈りしている時、主がわたしに香港へ行けとおっしゃったのよ。"と言いました。

 彼女の夫もまたとても敬虔なクリスチャンで、彼女にこう言いました。"主がそう望んでおられるのなら、香港へ行きなさい!"

 それから彼女は主の御前に行き、香港で何をすべきなのか尋ねました。主はただこう言われました。"まず香港へ行きなさい。着いてからそこで何をするのか教えます。"(クリスチャン生活のひとつの原則は神様は一度に一歩づつ導いてくださるということです。)そうして彼女は香港へ旅してわたしがいたルーテル・ホームに滞在しました。何週間か毎日彼女は主に何をして欲しいと望んでおられるのか尋ね続けました。

 ある日静かな祈りの時間の最中にドアをノックする音が聞こえました。わたしがドアを開けるとそこにその婦人が立っていました。彼女はわたしに、"主がわたしに語られ、あなたがヨーロッパへ行くためのチケットを買うように示されました。"と言いました。わたしは感謝の気持ちを伝えましたが、そのことについてもっと祈ってくださいとお願いしました。彼女は即座に"いいえ、主はわたしにとても明確に示されたのです!"

 数日後、彼女は戻ってきてわたしにチケットを予約したかどうか尋ねました。わたしがしていないと言うと、彼女は"チケットを予約しなさい。主が何故わたしをここに送られたのか、わたしには今本当にはっきりとしています。主はわたしに成すべきことを与えられました、そしてそれはあなたをヨーロッパにおくることなのです。一刻も早くチケットを予約しなさい!"その日は金曜日でした。

 毎日、新聞を読んでいたのでわたしは香港からヨーロッパへ行く全ての船のスケジュール、航路と運賃を知っていました。ヨーロッパ行きで一番安いのは翌週火曜日に出発する船だということもわかっていました。そのアメリカ人の夫人が親切にちょうどの金額の小切手を下さった後、わたしはすぐに船会社へその船の席を予約しに行きました。しかし、わたしがそこに着いた時、運賃はスエズ運河での戦闘(1956年)のため20%値上がりしたと言われました。戦闘のため運河は閉鎖されており、1ヵ月後に船がその地域に到着した時航行できるかどうか誰にもわかりませんでした。もし、できなければ船は南アフリカと喜望峰を回るずっと長い航路を航行しなければなりませんでした。わたしは船会社の人にもし船が結局運河を航行することが出来た場合に20%の割増料金を払い戻ししてもらえるのかどうか尋ねました。彼は確かではないけれど、戦争直後にスエズ運河を航行する船の保険料はとても高いので(沈没船と浮遊する水雷による危険のため)払い戻しの見込みはないだろうと言いました。いずれにしても、チケットには"スエズ運河の状況にかんがみて船会社は20%の追加料金の全てまたは一部を保管する権利を保持し、これに関する決定は船会社のみの裁量に任せるものとする。"という条項が付け加えられました。その日はもう金曜日で、船は火曜日に出発の予定でした。いったいどのように余分のお金を手に入れたらいいのでしょう?

 ルーテル・ホームに戻った時、夫人はわたしにチケットを買ったかどうか尋ねました。わたしが20%値上げのことを彼女に話すと、彼女は"主を賛美します!何もかも完璧だわ!あなたがいない間にちょうど主人からお金をもっと送ったと言う知らせが電報で届いたのよ。彼には何故だかわからなかったけれど、主がこの余分の送金をするように彼に示されたの。彼はあなたがそれを必要としていることを感じたんだわ。さあ、これがそのお金よ。戻ってチケットを買っていらっしゃい!"神様を賛美します!いかに神様とともに歩むかを知っている彼の民のために!わたしははるばる中国から出てきました。そして神様は、はるばるアメリカから香港でわたしに会ってわたしをヨーロッパへ送るために誰かを送って下さったのです!これがどういうことだかわかりますか?これがただの偶然だと思いますか?神様は本当に現実で驚くばかりです。神様のタイミングは非の打ち所がありません。わたしは火曜日に香港を発ち、その婦人は水曜日にアメリカへ戻られました。

ヨーロッパへの旅 

 その船は貨物船で乗客は12人だけでした。わたしはシンガポールへ行くという香港の人と船室を共用していました。船が彼の目的地にだんだんと近づいて、シンガポールの地平線がだんだんぼうっと長く見えて来たとき、彼はわたしとともにひざまずいて彼の命を主に委ねました!

 ヨーロッパまでの残りの旅の間、わたしは船室をひとりで使えたのでひどく必要としていた休息をとり、衰弱から回復することが出来ました。貨物船ではだれもがファースト・クラスで旅していました。主はわたしの健康を船の上の栄養のある食事と平安な休息で回復して下さいました。

 ビルマで労働争議があり、ヨーロッパへ向けて運ぶ積荷を待つためそこで船が一ヶ月間停泊しました。その結果、わたしは通常料金で丸2ヶ月間を船の上で過ごすことになりました。ヨーロッパにつく頃にはわたしの健康はすっかり回復していました。主はまさにわたし達の必要をわかっておられます。

 旅の間、乗客たちは船会社が20%の割増分を払い戻してくれるかどうか論議していました。彼らがわたしの意見を尋ねたとき、わたしは絶対にお金を払い戻してもらえると確信していると言いました。彼らはわたしの答えに当惑してどうしてそう思うのかと尋ねました。わたしは彼らに説明することができませんでしたが、しかしわたしがその20%を取り戻すことを主が示してくださっているのがわかっていました。

 ヨーロッパに着いた時、わたしたちは船から降りて直ぐに船会社のオフィスへ行きました。わたしは即座に20%分の小切手を受け取りました。次の人も小切手がもらえると思っていましたが、船会社は支払いを拒否しました。その理由は契約に書かれているように払い戻しは完全に船会社のみの裁量に任せるものとするということでした。わたし以外の10名の乗客たちは20%を取り戻そうとして一日中オフィスでねばりましたが徒労に終わりました。

 その20%の払い戻しに関して何かとても奇妙なことがありました。わたしは香港で運賃を米ドルで払い、ユーゴスラビアで払い戻しを受け取りました。しかし、払戻金は香港ドルでも米ドルでもなくまたユーゴスラビアの通貨でもなく、イギリス・ポンドだったのです!あとになって気がついたのですが、これはすべて神様が計画なさっていたことでした。

ヨーロッパへ到着

 ヨーロッパにつくとわたしはすぐにスイスにいた母を訪ねました。母は命にかかわる手術を受けたばかりでした。わたしはヨーロッパで何をすべきか主の導きを待っていました。ある日わたしはチューリッヒへスイス銀行の頭取を訪ねて行きました。その人のサインが全てのスイス紙幣に印刷されている紳士です。(香港でだれかがわたしに彼の名前と住所をくれたのでした。)彼はとても敬虔なクリスチャンで彼の家族もみんなとても立派で謙遜な人たちでした。

 汽車に乗ってチューリッヒを発つ時、彼の奥さんが汽車の中で読むようにと一冊の雑誌を手渡して下さいました。雑誌を受け取ってお礼を言いました。雑誌の背表紙には神学校の広告が載っていました。わたしはこの学校に志願してみようかなと自分に言いました。

 主がわたしに何をしてもらいたいと望んでおられるのかわたしにはわかりませんでした。最初わたしは機械工学を勉強したいと思いましたが、考えれば考えるほど何よりもまず神学校に行って勉強する方がいいと感じました。わたしは広告を切り抜いてスコットランドにあるこの神学校に志願しました。わたしは学校に受け入れてもらえることになった時やっと何故払い戻しの小切手をイギリス・ポンドで受け取ったのかがわかりました。神様はわたしが英国でこの神学校に行くことをすでにご存知だったのです。その小切手で学費を支払った時、その金額は第一学期分を払うのにちょうどぴったりでした。

神様は全ての必要を満たしてくださった 

 神様はその後も続けても驚くべきやり方でわたしの人生に現れてくださいました。イギリスに着いた時、知っている人はひとりもいませんでした。わたしは労働を許可されていなかったので、神様に全学期間の必要を満たしてくださるように求めなければなりませんでした。神様は時々わたし達の信仰を試されます。神学校での最終学期が近づいた頃、わたしには学費を払うお金がありませんでした。ポケットにあるお金を数えてみるて、あと2,3日いると借金をすることになってしまうことに気がつきました。どうすればいいでしょう?聖書には互いに愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない(ローマ人への手紙第138節)と書かれています。わたしはだれにも借りを作りたくありませんでした、それは神学校も含めてでした。

 わたしは学籍係の人に学費が払えないので退学しますと言いました。彼はわたしの方に腕を回して言いました。"エリック、わたしたちは君が借金しているとはみなさないよ。少なくともこの学期の最後の一日までは。"

 わたしは言いました。"ウィリアムソンさん、もし神様が学期の始めに備えてくださらないのなら、学期末に備えて下さるとどうしてわかるでしょう?その時にわたしが借金を背負うことになったら、聖書の教えにそむくことになります。"彼はわたしに頼むから居てくれと言いましたが、わたしは去らなくてはならないと彼に言いました。卒業証書はわたしにとって重要ではありませんでした。

 わたしは階上の自分の部屋に戻り、主に神学校で勉強する機会を与えて下さったことを感謝しました。もしわたしがそこを去ることが主の御心でしたら、わたしは喜んでそれにしたがうつもりでした。幾人かにお別れの手紙を書こうとして便箋を開けたとき、その中にわたしは何を見つけたと思いますか?1ポンドの新札1束です!わたしは夢を見ているのかと思いました。紙幣を数えてみると、案の定それは最終学期の費用をまかなうのにちょうど十分な額でした!こんなことは今まで経験したことがありませんでした。

 わたしは階下のウィリアムソンさんのところへ行きました。かれはわたしがお別れの握手をしに来たのかと思ったにちがいありません。その代わりわたしが彼に紙幣を渡した時、彼がどれほど驚いたか想像に難くないでしょう。わたしが一部始終を彼に説明した後、彼は"エリック、わたしたちはこの神学校で本当に驚くべきことが君達の生活を通して起こるのを何度か見てきたよ。"と言いました。

最近の出来事

 主が本当にたくさんのことをしてくださった学生時代からその後、経過した長い年月については端折らなければなりませんが、最後に最近起こった出来事についてお話したいと思います。このことは現に生きておられる神様が彼の民を、彼らが神様とともに歩む時、どんな風に導かれるかということを示しています。

 その例をお話する前に、これもまた最近(1985年)に起こった別のことをまず手短にお話するほうがいいでしょう。 ある日車で街へ行こうとしたときの事です。カナダの家の近くの交差点で停車していました。カナダでは、車が止まれのサイン(四叉路)に来たとき完全に停車しなければなりません。そして最初に止まった車が最初に道を渡る権利があります。完全に停車した後、わたしがアクセルを踏もうとしたとき、主の声が明確に聞こえて"動くな!"と言われました。それでわたしは止まりました。果たして1台のバスが

明らかに交通ルールを無視して交差点を突っ走って行きました。バスの運転手は止まれのサインを無視しただけでなく、そのサインの直前にあったバス停にも止まりませんでした。もしわたしがアクセルを踏んでいたら、そのバスはわたしの車に激突していたでしょう。主がわたしの命を救ってくださったのはこの1度だけではありません。

 では最後の例をお話しましょう。いろいろな理由からここ何ヶ月かの間にわたしたちの教会の兄弟姉妹の中で親が亡くなったり、危篤状態で入院したりするケースがいくつかありました。そのうちのひとりはトロント教会でフルタイムで奉仕している姉妹でした。彼女のお父さんは糖尿病で、さらに肝臓病も併発していましたので定期的に透析を受けなければなりませんでした。ある日この姉妹がわたしに緊急の電話をかけてきて"国際電話がかかってきて父の容態が悪化したと言われました。でも、命にかかわる状況なのかどうか誰にも、お医者さんにすらわからないようです。わたしは家へ戻るべきでしょうか?"わたしは彼女に自分で主の導きを仰ぎなさいといいました。主の御前で待っていると、わたしは主から彼女のお父さんが間もなく亡くなるだろうと示されました。わたしは彼女に"お父さんが亡くなる前に証しできるようにできるだけ早くマレーシアに戻りなさい。"と言いました。彼女は警告を聞いてすぐに1番早い便でマレーシアに行きました。彼女が着いた時、彼女のお父さんは比較的小康状態にありました。2,3日の間彼に証しする機会がありました。彼女自身、看護婦だったので、彼の病状についてある程度わかっていました。状態が非常にいいようなので、彼女はモントリオールからクアラ・ルンプールに戻っていた兄弟姉妹を訪ねに出かけました。しかし、彼女が出かけている間にお父さんは亡くなりました。その死があまりにも突然だったので、彼女はとても驚いていました。しかし主はすでにわたしに彼女の父親が長く生きられないと言う事を示してくださいました。それでわたしは彼女にすぐに行きなさいと言ったのです。

 その後まもなく同じようなことが起こりました。カナダにいる兄弟が香港から彼の父親が心臓発作で危篤だという緊急の電話連絡を受けました。この兄弟はすぐにわたしに電話してきてどうすればいいか尋ねました。主はただちにわたしに"彼の父親は死なない"というメッセージを下さいました。わたしは主からのメッセージをこの兄弟に伝えましたが、

彼は医師が彼の父親は極めて深刻な危篤状態だといっていますとさらに説明しました。しかし、わたしは彼に"主は君のお父さんは死なないとおっしゃったんだ!"と言いました。主の言葉通り、彼のお父さんは今日までまだ生きておられます。(編集者記:この証しが述べられたのは1985年ですが、その父親は19923月オアシスにこの証しが掲載された時点でも香港でまだ生きておられます。)

 あなたが主とともに歩む時、主はご自身の秘密を明かされます。(参照:例 アモス書第37節、ダニエル書第219222830節)この両方のケースにおいてわたしが主から受け取ったメッセージは明らかに真偽のほどを確かめる事が出来ました。結果を見ればわたしが偽の預言者かどうかをすぐに確かめる事が出来ました。多くの占い師のようにわたしは結果に関係なく成就する事ができるようなあいまいな預言はしませんでした。逆に、主がわたしに、わたしを通して語られた言葉はとてもはっきりと明確だったので試され実証することができたのです。

結論

 神様の偉大さはただ驚くばかりです。神様の驚くべき業のほんの一部を分かち合いましたが、これらのほんの数例だけでも人間的に説明をつけることはできません。もっと多くの例をお話することもできますが、時間がなくなってしまいました。

 さて、わたしがクリスチャンになったことはわたしが主に奉仕することと切り離しては論じられない事がお分かりいただけたことと思います。わたしは神様に約束したので神様に奉仕する他に選択の余地はありませんでした。正直に言うと、逃げ出そうと思ったこともありました。しかし神様はいつもわたしに神様との約束を思い出させてくださいました。この何年もの間、神様はわたしが神様の恵みによって奉仕できるように正しい道にわたしを留めてくださいました。

 あなた方の中には"何故神様はあなたに対してそんなに現実的なのですか?どうしてわたしたちは同じことが経験できないのでしょうか?"と思っている人がいるかもしれません。その秘密はこの事にほかありません。つまりそれはもしあなたが完全に神様に委ねるならば、そしてあなたが自分の十字架をとって神様に従うなら、まさにわたしが経験したと同じくあなたも神様から驚くべきことを経験するでしょう。


4

ロンドン時代

神の栄光を宣べ伝える

 この章でわたしは聖書で"宣べ伝える"あるいは"証しする"呼ばれていることをしたいと思います。わたしは神の栄光を宣べ伝え、神の慈悲を宣べ伝え、神の善を宣べ伝え、神の英知を宣べ伝え、神の御名を宣べ伝え、神がだれなのか、神の御性格、神はどういう方なのかを宣べ伝えます。

クリスチャンであることはキリストを知ることである

 わたしにとってクリスチャンになるということは何かの宗教に参加するということではありません。わたしはいままで宗教自体に興味を持ったことはありませんでしたし、いまでもやはり宗教に興味はありません。クリスチャンになることは神を知ることです。それは神を生きている方として、あるいは三位一体として知ることです。神を知るというこの過程において、わたしたちはクリスチャンであるとはどういうことかを理解し、クリスチャンとして成長して行くのです。クリスチャンであることは勉強してどれくらい学んだかということではありません。私自身そのことには十分時間をかけてきたので、学ぶことに反対しているわけではありません。ただ、キリスト教の教義や歴史、組織や団体を知っているからといって、あなたがクリスチャンであるとはいえないということです。たとえもしあなたが教義を全て信じていたとしても、こういうことは何ひとつあなたをクリスチャンにさせることはできません。基本的にクリスチャンであることはキリストを知ることです。パウロは彼のやりたいことはただひとつキリストを知ることだと言っています。(ピリピ人への手紙第3章8節、10節)ヨハネの第1の手紙第520節でキリストを知ることは永遠のいのちであると言っています。ですから、すべてはこのキリストを知るということにかかっているわけです。わたしが宣べ伝えたいのは、キリストがご自身についてわたしに何を教えてくださったかということです。

神はひとそれぞれ違った形でご自身を現される

 わたしがもうひとつはっきりさせておきたいのは経験は必ず人それぞれ違っているということです。ですから、あなたの経験をわたしのと比べる必要はありません。なぜなら神様は人それぞれ違った形でご自身を現されるからです。わたしはこの点を特に強調しておきたいと思います。というのも時として経験が非常に劇的だったりすることもありますが、あなたは"自分はそんな経験をしたことがない"と思うかもしれないからです。それは重要な事ではありません。劇的とはいえなくても、非常に現実的に神様を経験することだってありえます。

 経験が劇的なものになるかどうかをわたしたちが決めるわけではありません。例えば、主イエス・キリストが使徒パウロにご自身を現された時、パウロはまだ使徒ではなく当時サウルと呼ばれていました。しかし、ダマスコへ行く道で天から目のくらむような光がさして彼は馬から落ち、それから数日間目が見えなくなりました。とても劇的です。するとあなたは"わたしはそんな経験をしたことがない。"というでしょうが、そんなことは構わないのです。あなたが馬から転げ落ちたり、目が見えなくなったりしなかったからと言って、あなたの神様の体験がより現実でなくなってしまうことはありません。

大変な苦しみに遭うことを覚悟していなさい

 わたしがひとつどうしても言っておきたいことがあります。もしその経験が特に際立ったものである場合(劇的といってもいいでしょう。)主があなたに非常にむつかしいこをするように召されることを覚悟しなければならないかもしれません。例えば、パウロはまさにこのような劇的な体験をしました。そしてその結果主は彼にとても難しい任務を用意されていたのです。言い換えれば、もしあなたが非常に際立った経験を求めるなら、同時にパウロが経験したような(使徒行伝第916節)非常に際立った苦しみに耐える覚悟をしておいた方がいいということです。もし大変な苦しみがいやなら、劇的な経験をすることも忘れたほうがいいでしょう。他のだれかが話をするのを聞くだけで、彼らに苦しみを経験させておけばいいのです。

 わたしはこれらのことを分かち合うとき、苦しみについては、わたしも主の憐みによってかなり経験しましたが、あまり詳しくお話ししません。こういった攻撃や苦しみが襲ってきた時はいつもこれは主がわたしに召してくださったことだということと神の使命の大部分はわたしにこれらの経験を通してとても生々しくわたしと神様との関係を常に確信させることだということを思い出しました。

宣べ伝える

 "宣べ伝える"という言葉は聖書の中の詩篇で何度も繰り返し使われています。

     そのみわざをもろもろの民のなかに宣べ伝えよ。詩篇第911

     すべての神を恐れる者よ、来て聞け。神がわたしのためになされたことを宣べ伝えよう。詩篇第6616

     あなたのもろもろのみわざを宣べ伝えるであろう。詩篇第7828

これは詩篇の中で延々と続きます。神のみわざを宣べ伝える、神の栄光を国々に、人々に宣べ伝えるなどです。これは基本的にわたしが現在していることです。わたしはあなたの恐るべき御業と働きを宣べ伝えます。わたしはあなたのおおいなることを宣べ伝えます。詩篇第1456

 多くのひとびとがわたしに"神様があなたに色々劇的な経験をさせて下さったのにわたしには何もしてくださらないのは不公平だ。"といいます。わたしが先に述べたことを心に留めていてくださっていればと思います。あなたも同じがあるいはもっとすごい経験をすることが出来ます。ただし神様のために苦しむことを覚悟しているならばです。もしそうでなければ、そんなことを思うことすらおやめなさい。それはつまり神の啓示(それは基本的にこれらの経験のひとつひとつということです。)には必ずなんらかの値札がついているということです。もしその覚悟ができていないなら、それを求めることもおやめなさい。

 わたしは神を知るというこの特権とそれに伴う苦しみにもさらに大きな喜びを見出します。わたしはパウロに共鳴して、"すなわち、キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかってその死のさまとひとしくなり、"(ピリピ人への手紙第310節)といいます。そのようにしてかれはキリストを知るようになったのです。あなたはどれくらい本当に主を知りたいと思っていますか?

ロンドン時代

 わたしの証しの第4章を続けさせてください。最初にことわっておきたいのですが、1時間では証しの一部である、ひとつの時期、ロンドン時代のことについてだけでも全てを網羅することは無理なので、特に印象的な出来事だけを選んでお話することにします。前回、わたしの中国での経歴とスコットランドで過ごした時のことをお話しました。この章ではわたしがロンドンにいた時代のことについてお話することにします。その頃わたしは主がわたしにして下さったあまりにも多くのことを体験したので、先に申し上げたとおり、かいつまんでその中から一部だけをお話しします。

窮乏は神様を体験する機会となる

 とりわけあらゆる問題や苦しみを通して主は御自身を現されます。もし何も問題がなければ、神様がして下さることを経験する機会がありません。例えば、経済的にも物質的にも困っていなかったり、主の奉仕者としてあるいは神の子として全く経済的必要に迫られていなかったら、どうやって神の備えを経験することが出来るでしょうか?もしあなたが何も必要としていなかったら、神様が介入してくださる機会はありません。わたしは何も必要としていない人を気の毒に思います。なぜならそのひとは神様を経験するチャンスもないからです。このことをようく心に留めておいて下さい。

 もしあなたに何の肉体的問題もなければ、あなたはまた神様を経験することができません。わたしは毎日肉体的に神様に頼らなければなりません。わたしは今毎日神様が維持してくださらなければ1日も切り抜けることができない状態まで来ています。わたしは以前ここにいる皆さんと同じくらいかあるいはもっと肉体的に丈夫で健康でした。今は、背中に問題があり、10分か15分立っているだけで激しい痛みに襲われます。そうなるとあなたはどうしますか?神様に頼ることを学ばざるをえません。わたしの必要は神様の好機となるのです。

アンドリュー・マクベス、"神の人"

 スコットランドでわたしは2年間聖書訓練学院で勉強しました。そこは英国で最も古くて有名な神学校のひとつでした。正確に言うと、ムーディによって設立されました。西洋の伝統の中で長い間クリスチャンであるあなたがたの多くは偉大なる説教者ムーディーのことをご存知だと思います。シカゴのムーディ神学院も彼のミニストリーの結果設立されました。もちろんサンキーがかれの音楽ミニストリーの担当でした。ムーディーがいくところにはすべてサンキーがついて行って音楽のミニストリーを担当しました。ご存知のように、多くの有名な英国の賛美歌や聖歌はサンキーによって書かれました。かれらは英国で宣教活動を繰り広げました。その時期多くの人が主に立ち返りました。その結果、たくさんのひとびとが主の働きのために訓練を受けたいと切望し、こうして聖書学院が設立されたのです。

 学校長はアンドリュー・マクベスという学者肌の紳士、しかしそれよりもまず立派な神のしもべでした。わたしは今までの人生を振り返ってどれくらい多くの真に神のしもべと呼べる人にであったかを数えてみました。つまり、わたしの心のなかで"神の人"として際立つ人ということです。"神の人"という称号は簡単につけられるものではありません。その称号に真にふさわしいひとはほとんどいません。聖書の中でも"神の人"という称号ほど高貴な呼び方はないと思います。そういう人はほとんどいません。わたしの人生のなかでも、おそらく数えるのに5本の指もいらないくらいです。

 わたしはアンドリュー・マクベスをそのひとりとして挙げます。もしあなたがこの人にあって少しでも彼のことを知る機会があったら、あなたは神の人に出会ったということがわかります。まず最初にわたしはかれのぬきんでた謙遜にうたれました。わたしはビザがとれなかったので1ヶ月遅れて到着しました。ビザに関していろいろなトラブルがあり、わたしがとうとうグラスゴーに着いた時には神学校の学期が始まってからすでに1ヶ月が経っていました。マクベス氏自らがわたしを迎えに来てくれました。何故学長がわざわざひとりの新入生を迎えに出なければならないのでしょう?他にも学生はたくさんいるのですから誰かにわたしを迎えに行かせることもできたはずでしたが、かれは個人的にわたしを迎えに来てくれました。それだけではなく、彼はわたしを構内にあった彼の住まいにまで連れて行って、わたしを彼の家族に紹介してくれました。わたしは学長がわざわざ学生を家族に紹介するなんて聞いたことがありませんでした。彼は当時病に臥せっていた彼の奥さんにわたしを紹介し、彼女はベットから起き上がってわたしに挨拶してくださいました。

 結婚している方ならおわかりになるかと思いますが、妻が病の床にあってきちんと髪を梳かしていない時は訪問者に会いたがらないのが普通です。しかし、アンドリュー・マクベス氏は意に介さず、わたしを彼の妻に紹介し、彼女もまた非常に愛想よくわたしを歓迎してくれました。それはわたしが最初に味わった彼の恵み深さと謙遜でした。

 ある日わたしが廊下を歩いていると突然マクベス氏が現れました。彼はわたしに"おいで。"といいました。わたしはいったいなんだろうと思いました。彼はわたしをそばに呼んで封筒を手渡しました。わたしは封筒を見て"これは何ですか?"と尋ねました。彼はわたしに言いました。"主がわたしに語られたので、わたしは君にわたしの10分の1献金をあげたいと思うんだ。これはわたしの10分の1献金だよ。"わたしはとても感激しました。神学校にはこんなにたくさん学生がいるのに、学長自らがこうやってわたしに普通の贈り物ではなく彼の10分の1献金を与えて下さったのです。わたしは言葉を失いました。わたしは驚きのあまりぼうっとし深く感動していました。これでこの方の本質がどういうものかをお分かりいただけたかと思います。わたしはまだ1年目の学生でした。

 彼の生き方全てがキリストの香りを放っていたことがお分かりになったと思います。それは本当に美しいものでした。わたしが神学校から得たことはたくさんの知識より、それにも勝って神の人とはどういうものかという深い印象でした。そういう人と出会っただけでなく、そのような人と友情を育むことができたということは何ものにもまして貴重なことでした。

 何年も経った後、彼がかなり高齢だった時、わたしはいちどかれにわたしが牧師をしていたリバプールから電話をしました。わたしはかれに"按手"について彼がどう思うかと尋ねました。そのことをわたしは神学校でも勉強しましたが、わたしは確固として聖職任命式を拒んでいました。わたしは何々師とか、何々牧師とか呼ばれるのが嫌いだったので、任命されたくないと思っていました。わたしはいかなる肩書きも持ちたくなかったのです。事実、わたしはリバプールにいた頃ずっとそうだったのですが、報酬なしで主に奉仕したいと思っていました。その5年間わたしは給料をもらいませんでした。わたしは給料を辞退したのです。それで生活は大変でしたが、そうすることによってわたしは教会にわたしがお金のために福音を伝えているのではないということを示したかったのです。わたしは奉仕から如何なる報酬も欲しくありませんでした。実際わたしはそのことについて何もいいませんでした。5年後にわたしがリバプールを離れる時わたしがそこにいた5年間わたしが給料をもらっていなかったことをだれかが見つけ、非常に驚きました。彼らは"わたしたちが献金箱にいれたお金はいったいどこへ行ったのですか?"と尋ねました。わたしは、"主の働きのために用いられました。わたしが受け取らなかったからといって、主の働きに用いられなかったということではありません。"と言いました。すると彼らは"何故あなたは一度もそういわなかったのですか?"といいました。わたしはこう言いました。"わたしは最初にそう言いましたが、その時まだあなたがたは教会に来られていなかったのです。"その教会はほんの小さなグループから大きな集会へと成長したので、ほとんどのひとはこのことについて何もしりませんでした。

 しかしわたしは聖書の中で何度か述べられている"按手"についてどうしても知りたかったので、ある日マクベス氏に電話して言いました"マクベス師、按手についてどう思われますか?"彼は"もちろん、それはとても大切なことだよ。"と言いました。わたしは"それはわかりますが、何か他に教えていただけることはありますか?"と言いました。すると彼は"ではわたしがリバプールへ行くとしよう。"と言いました。わたしは言いました。"わざわざリバプールへ来て教えて下さらなければならないほど解説に長くかかるということでしょうか?"

 この方の神々しさにお気づきでしょうか。彼はスコットランドから遠路はるばるリバプールまで来てくれました。わたしは彼が按手のことをわたしに解説するためにリバプールまで来られるのだと思っていました。復活祭の直前でした。彼がリバプールに着くと、わたしは"なぜ按手のことを説明してくださるためにわざわざリバプールまで来てくださったんでしょうか?"と言いました。すると彼は"わたしは按手のことを説明するためにきたんではなくて、按手するためにやって来たんだよ。"と言いました。わたしは言葉を失いました。"なんですって?"とわたしが言うと、彼は"聖書に基づいているとわかっていることはその通りにやるのです。そのことについて話すのではなく、それをやるのです。"

 驚きだったのは、彼が復活祭まえの週日にきて、3日後の復活際の日にわたしは聖職を任命されて按手を授かっていたということです。教会にはその前の日曜日にまだ何も通知されていませんでした。なぜなら自分が聖職を任命されるということを私自身ですら知らなかったからです。

 このことが神の人のもうひとつの秘訣を示しています。ただ話すのではなく、実行するのです。聖書に基づいていることは、そのことについて何もかも理解していなくてもその通りにやるのです。彼は決してわたしに解説しませんでした。按手についてわたしに何も説明しませんでした。彼はだたその通りことを進めて按手を実行したのです。振り返ってみて、わたしは自分がそのようなまれにみる神の僕であり秀でた性質を持った人に聖職を任命していただけたことを大変光栄に思います。

 わたしは神の人と呼べるひとがまわりにほとんどいないことと、そして神さまがご自身の叡智と優しさによってわたしにその数少ない神の人に出会う栄誉を与えて下さったことを証ししたくて、少し時間をかけてこのことをお話ししています。過去にわたしはひとりかふたり別の人のことをお話したことがありますが、それは今日証しすることとは一致していません。

 アンドリュー・マクベス氏は本も何冊か書いておられます。わたしはグラスゴーを発つ前に学校の彼のオフィスにお別れを言いに行きました。その時も彼はいつも通り優しくとても穏やかにわたしにさようならを言ってくださり、そして"わたしの本がちょうど出版されたばかりだから君に一冊進呈しよう。"と言って本にサインして手渡して下さいました。それは意味深にもヨブについての本でした。その時わたしはまだ非常に未熟だったので、その真の意義をつかんでいませんでした。後にわたしは彼がヨブについての注解書を書いた理由は主のために彼が経験した長い苦しみであったことをようやく理解しました。しかし、彼は決して彼の苦しみについて話しませんでした。後になってどれほど彼が苦しんだのかをあちらこちらから見聞きしました。彼のヨブについての注解書は大変に価値のあるものでした。なぜなら肘掛椅子に腰掛けて学者が書いた注解書はたくさんありますが、アンドリュー・マクベス氏は学究的にも経験的にも非常に豊かな人だったからです。彼は世界中の色々な場所へ福音を伝えに出かけたので、主のために多くのことを経験しました。

ロンドンで勉強を続けた日々

 わたしがスコットランドを離れる時、マクベス氏が最後に言われたことは"エリック、神様は君に才能をお与えになったのだから、さらに高いレベルの訓練を受けなければいけないよ。君はもっと上に進んでいくのに必要なものをもっている。だからロンドンへ行ってさらに勉強を続けなさい。"ということでした。正直に言うとわたしはさらに勉強することには関心がありませんでした。わたしの心の中では炎が燃えていて、出かけていって福音を伝えたかったのです。わたしは学校の教室に座って死ぬほど退屈なことを勉強して時間を無駄にしたくはありませんでした。わたしはもともと学校へ行くのがそんなに好きではありませんでした。運動場は大好きでしたが学校はそれほどでもありませんでした。

 ここでマクベス氏がわたしにさらにもっと勉強するようにとおっしゃっているのです。わたしは"えーっ!そんなぁ。"と思いました。しかし、神様の僕が語られている時にはますます心して聞き従わなければなりません。それでわたしは言いました。"わかりました。ロンドンへ行って、もし主が道を開いて下さったら、勉強します。でももし主が道を開いてくださらなかったら、やったー!わたしは福音を伝えます。"

 彼が祈って下さったからなのかどうかはわかりませんが、どこへ行っても道は開かれました。これは信じられないことだと思いました。実際わたしは通常2〜3年かかる大学入試(GCE)の勉強をする時間がありませんでした。わたしはそれに興味もありませんでしたが、マクベス氏が言われたことなので、すこしは勉強しなければなりませんでした。確かにあちらこちらパートタイムで勉強してもはかどりませんでした。結局ロンドン大学は英国で1番容易に入れる大学ではありません。しかし、見よ!なんと、どの学部にいってもわたしはその場ですぐに受け入れられましたから、この神の人が祈っているに違いありません。これは本当に驚きだとわたしは思いました。わたしが入っていっただけで、教授が"入学を認めます。"と言いました。

 わたしはずばり何を勉強すべきかと考えていました。多分あなた方の中にもこの問題にぶつかったひとがいるでしょう。"何を勉強すべきだろう?"わたしは"何か主の働きに役立つことを勉強したい。"と思いました。わたしは"主よ、わたしに何を勉強してもらいたいとお望みですか?御心を示してくださるのを待っています。"と心のなかで思いました。そしてまた"わたしの願望は中国に福音を伝えることだから、わたしはもっと中国を深く詳しく知った方がいいだろう。"と思いました。しかしまた、"中国に関係することでなにを勉強すればいいだろうか?"と思いました。

 正直に言うと、わたしは文学、哲学あるいは歴史に関することを勉強するのを恐れていました。というのはわたしが学校で勉強した中で得意だったのは理科系科目だけで文科系科目については全く絶望的だったからです。わたしは作文をかくことができませんでした。書き方を知らなかったのです。わたしはどうすればいいのかさっぱりわかりませんでした。理科系科目は率直です。2たす2は4。これならわたしにも対処できます。とても単純だからです。しかし作文を書くとなるとわたしはどうしたらいいのか全くわかりませんでした。文科系科目はからきしだめでした。もしすれすれで及第できればそれだけで十分ありがたいことでした。理科系科目はかなりよくできました。わたしの一番の得意科目はいつも数学でした。それは難しいゲームをしているようで、とても楽しかったのです。ですからどうして数学を恐れるひとがいるのかわたしには理解できません。しかしわたしは文科系科目を恐れていました。わたしはその時主の働きにおいてどう生かしたらいいのかわからなかったので理科系科目を勉強しないことにしようと思いました。確かに役に立つこともありますが、ただその時にわたしはそう思ったと言っているだけです。他のひとにとってはそれが中国かあるいはどこか別のところで仕事を見つけたりして道を切り開くのに役に立つかもしれません。しかし、わたしは中国の文化と言語の理解を深めようと考えていましたので、東洋哲学と文学や歴史などの文科系科目を専攻することにしました。つまり、わたしがまさに苦手としていたことをやることにしたのです。

 最初、わたしはギリシャ語をやろうと思いました。新約聖書をよりよく理解するためにギリシャ語を専攻するのです。わたしは大学のギリシャ語学部に行って教授に"ギリシャ語を勉強したいのですが。"と言いました。わたしは入学を許可されました。教授はわたしに"オックスフォードかケンブリッジに志願しましたか?"とだけ尋ね、わたしは"いいえ。わたしの教会はロンドンにあるので、オックスフォードやケンブリッジにいくつもりはありません。"と答えました。彼は"もしそっちに志願しているなら君に入学を許可しないが、君がロンドンでのみ志願するなら、受け入れよう。"と言いました。わたしは"ずいぶん話が早いな。"と思いました。彼は遠まわしに話すことはしませんでした。

 あとになって、わたしが学ぼうとしていたのはギリシャ古典で新約のギリシャ語ではないことに気が付きました。そのふたつは全く同じではありません。関係はありますが同じではないのです。わたしはあとであまり役に立たないかもしれないのでギリシャ古典を学ぶのに3年も費やすつもりはありませんでした。

 それからわたしはロンドン大学の東洋研究科へ行きましたがそこでもまた同じことが起こりました。わたしが入って行って、"ここで勉強したいのですが。"と言うと、教授が"どうしてこの科目を勉強したいのかね?"と尋ねました。わたしは"福音を伝えたいからです。わたしは宣教師になるつもりです。"と答えました。わたしはそれ以上率直になれないほど率直でした。もし彼が宗教反対派だったら、わたしはその時そこからつまみ出されていたかもしれません。そこは宣教師を訓練することろではなかったからです。その学部で勉強している人のほとんどは外交官になるために訓練されていました。彼らは哲学と外国語と外国文化を学び、その中からたくさんの人が外交官になりました。事実、香港の前総督デビット・ウイルソン氏はこの学部で大学院の研究をしました。ある日彼が香港総督になったというニュースを聞いた時わたしはこのことを妻のヘレンに話しました。彼は1997年の中国返還前の最後からふたり目の総督でした。

中国人教会での奉仕

 わたしはロンドンへ行った時、ある兄弟がわたしに"どこの教会にいっているのですか?"と言いました。

 "わたしはロンドンに着いたばかりで、まだ教会を見つけていません。"

 彼は"わたし達の教会にいらっしゃい。"と言いました。

 わたしは"どちらの教会にいっていらっしゃるのですか?"と言いました。

 彼は"わたしたちは中国人教会を始めたばかりなんです。"と言いました。

 わたしは"どちらの教会かお伺いしてもよろしいですか?"と言いました。

 すると彼はその教会のことについて教えてくれました。わたしは"それはわたしが以前Hさんという方にお会いしたことがある教会でしょうか?"と言いました。

 彼は"そうです。その教会です。しかしその人はもういなくなりました。"と言いました。

 わたしは"もし差し支えなければわたしは別の教会を探そうと思います。"と言いました。

 彼は"お願いです。人数が足りないので中国人教会に来ていただけませんか?"と言いました。

 わたしは"あまり気がすすまないんです。"と言いました。あなたは耳にしたことによって影響されませんか?とても簡単に否定的な影響を受けてしまいます。どんなにいいことでも、もしだれかが何か否定的なことをいうと、そのあと、そのことを心から取り除いて忘れてしまうのは非常に難しいのです。

 とにかく、この兄弟は例えばドアが開くまでたたき続けるというような、粘り強さの譬えでずいぶん学んだらしく、決してあきらめませんでした。毎週毎週わたしを誘い続け、とうとう"わかりました。そんなにこの教会がいやなら、聖書の学び会ならどうですか?"と言いました。

 わたしは"それはどう違うんですか?"と言いました。

 彼は"聖書の学びをリードしてもらえないかと言うことです。"と言いました。

 わたしは"わたしはその人たちことを知らないんですよ。"と言いました。

 彼は"それは大丈夫です。聖書の学びをリードしてくれるだけでいいんです。誰もやる人がいないので。なんとか力になってもらえませんか?

 とうとうこのように説得され、わたしは聖書の学びをリードするためにその教会へ行くことになりました。  

 中国人"教会"というとずいぶん立派に聞こえますが、そこにいたのは5人だけで、彼らは自分達のことを教会と呼んでいました。むしろ、聖書の学び会のままでよかったのですが、彼らはYMCAの教会堂で集会をしていたので、それで多分自分達のことを教会と考えていたのでした。教会堂にたった5人でそれを教会と呼んでいたのです。

 次にわたしが知ったことは一時的にこの教会をリードする人はわたしだけだということでした。わたしを誘ったあの兄弟はどこに行ってしまったのかわかりませんでした。彼は突然何か他のことをするためにどこかへ消えてしまいました。わたしはひとり残されて、この5人の教会を世話することになりました。賛美歌を決めて発表することからオルガンをひくことまで何もかもわたしがやらなければならなかったので、これはまったく滑稽なワンマン・ショーになりました。ピアノは賛美歌をやっと何とか弾ける程度でしたが、いままでオルガンを弾いたことは一度もありませんでした。ほとんど賛美歌を歌うことができない5人のひとびと5節の賛美歌を歌うのはどんなふうだか想像できますか?それで、わたしは"多分このオルガンを弾いたほうがいいだろう。"と思ったのですが、電子オルガンについているボタンのどれを押せばいいかもわかりませんでした。

 主はまた大変なユーモアのセンスの持ち主です。わたしは前に立ってお知らせをしてから教会堂のうしろにあるオルガンのところまで走っていかなくてはなりませんでした。わたしがオルガンを引いている間は壇上には誰もいませんでした。そして賛美歌が終わるとわたしはまた前まで走っていきました。

 主の働きによって、主がひとびとを引き寄せ続けられた結果、教会堂はどんどんいっぱいになっていきました。数ヶ月の間に教会堂は満員になりました。とはいってもたった50名ほどでそれほどたいした数ではありませんでした。50名のひとびとで教会堂がいっぱいになったので、わたしたちはもっと椅子を置くためにロビーを使わなければなりませんでした。それでももっといっぱいになってきたので、人が行ったり来たりしている廊下に立っていなくてはならない人たちもいました。

 わたしは主の御言葉の力が働いているのを目の当たりにし始めました。主は全く経験もなく本当に分不相応な未熟者を喜んで用いてくださり、恵み深くその働きを祝福して下さったのです。わtしたちは数週間後にYMCAビルの中のもっとずっと大きな場所へ移らなくてはなりませんでした。

 ここまでで、まだわたしは劇的なことをお話していませんね?主がひとびとをご自身に、また教会に引き寄せられたことにおいてさえ主の御力を経験したように、これらの日常的に見える全てのことにおいてどのように主を体験することができるかということをお話しただけです。

1〜2年経って、わたしではなく中国からきた牧師の責任のもとで、その教会はまだ成長し続けていました。わたしが最初に来たとき彼はすでにその新しい教会の牧師でしたが、彼は教会の建物を購入するための寄付を募るためアメリカにいたのです。34ヶ月離れている間に教会堂が満杯になっているのを見て彼は非常に驚きました。

チスルハ-ストでの五旬節(ペンテコステ)的体験

 教会は成長し続けました。それからわたしたちはケント州のチスルハーストでキャンプをしました。キャンプでわたしたちはだれもがやるのと同じ、ごく普通のことをしました。60名ほどのひとが参加し、主はそのキャンプで大いなる働きをして下さいました。復活祭の日が来て、それはキャンプの最後の日でもありましたが、主はひとりひとりの心に働いてくださいました。キャンプの間中、すでに主がそれぞれのひとの心に働いてくださっていることがわかりました。復活祭の日にイースター・エッグの宝探しをしました。イースター・エッグを見つけるためには各ポイントで手がかりを見つけなければなりません。もし正しく手がかりを見つけなかったら、間違った場所に行ってしまうことになります。卵をみつけるには、手がかりを求めてシャーロック・ホームズのように推理作業をしなければなりません。

 わたしのことを知っている人はわたしが冗談好きだということを知っているでしょう。わたしはゲームに参加してみんなと一緒に手がかりを探しました。最後はどうなったと思いますか?わたしが卵を勝ち取りました。卵を勝ち取ったのはよかったのかもしれませんが、しかしこの大きな金色の卵を持ってイースターの朝の感謝礼拝に来たとき、わたしは道化師のように感じました。わたしは"主よ、何故わたしがこの卵を勝ち取らなければならなかったのですか?"と心の中で言いました。あまりにも滑稽に見えたので、わたしはどこか椅子の下に卵を隠す場所を探しました。そして間もなく集会が始まりました。

  わたしがこの点についてお話したのはなぜかというと多くの場合クリスチャンが自分達が望むような結果を得るために人々の感情に働きかけたり、音楽を使ったりして霊的な雰囲気を作り出そうとする傾向があるからです。そこにはある種の感情的な雰囲気を創り出そうするような企ては全くありませんでした。何が起ころうとしているのか期待して気持ちが盛り上がっているというようなこともありませんでした。集会が始まり、司会の人が立ち上がって何か言い始めました。それまではみんな集まってきたばかりで笑ったり冗談を言ったりしていました。一瞬の沈黙があり、彼が言いました"祈りをもって始めましょう。"このときが彼が話すのを聞いた最後で、そのあと彼はその場からいなくなりました。彼はお祈りの間もぐもぐと口の中で何か言おうとしていましたが、突然神の霊が降りてきました。それでわたしはイースター・エッグのことをお話したのです。心理的準備とかそのようなものは何もありませんでした。それは完全に予期せぬ事でした。ある瞬間、ひとびとは大声で笑ったり、くすくす笑ったりしていましたが、次の瞬間には完全に沈黙の状態になりました。そしてその後すぐに抑えがたい神の御臨在の感覚に満たされました。実際経験しないとそれがどういうものかということを説明することはできません。

  五旬節で聖霊が降臨した時に何が起こったかわたしには理解できます。お話したように聖霊が降りてきたとき、聖霊が集会を支配していました。司会者は席に戻り、残りの時間彼が話すのを全く聞きませんでした。言葉を変えて言うなら、彼はもう集会を司会していなかったのです。主が支配されていました。

 ひとつの隅でだれかがすすり泣いているのに気がつきました。それからすすり泣きはもっと多くなりました。突然この60名が集まった部屋中が泣き声でいっぱいになりました。涙が流されました。次に、ひとびとは罪を告白し、悔改めが始まりました。神の恐るべき聖さ(ホーリネス)は紙に書き表わすことができるものではありません。聖さとはなんでしょうか?辞書をひけばその意味はああだこうだと書かれているでしょう。それを読んでも結局聖さとは何であるかあなたにはわかりません。

 しかしもし神に出会ったことがあるなら、だれもあなたに聖さとは何かを説明する必要はありません。なぜならあなたはそれを体験したからです。突然そこは恐るべき神の御臨在の感覚に満たされました。神がその部屋に臨在し、ひとびとに罪を自覚させておられました。わたしの隣りに立っていた男性はどんな時も泣いているところなど決して見せないようながっしりとした背の高い大きな人でした。わたしが振り向くとそこで彼はもう抑制できずに泣きじゃくっていて、顔から涙が流れ落ちていました。このようなことが部屋中で起こっていました。いたるところで神の御力が感じられました。それからひとびとは立ち上がって神の許しを請い、罪を告白しました。本当に驚くばかりでした。主の霊がその部屋でひとりひとりに働いていました。忘れがたい経験です。

 わたしたちは時間の感覚を全く失っていました。集会は1時間半の予定でしたが、何時間も延々と続きました。みんなプログラムのことなど忘れて、だれも昼食を取りに行きませんでした。キャンプ場のスタッフは昼食を用意して待っていましたがだれも現れませんでした。みんな部屋の中にいて、神の霊が働いていました。劇的な経験について話したければ、そこにはまさに神の御力が具現されていました。それはまさに劇的でした。それは五旬節的体験でした。今、わたしには五旬節がどんなふうだったかがわかります。それはわたし達が経験した抑えがたい神の御臨在の感覚です。わたしは"恐るべき"という言葉を使い続けていますが、他にどう言い表したらいいのかわからないのです。ひとりひとりが神の臨在のもとで打ち砕かれました。

 その後何時間か経ってわたし達は集会を終了しました。どのように終了したのかよく憶えていないほどでした。わたしたちはみんなぼうっとなった状態で部屋を出ました。わたしが時間の長さを強調したのはそれが2〜3秒間のぱっと一瞬で消えてしまうような経験ではなかく、何時間にも及ぶ神の臨在の経験だったからです。それは矢のように過ぎ去る想像上の一時的で消えてなくなってしまうような経験ではありませんでした。それは延々と続いて、十分に味わうことができました。神の臨在を心ゆくまで味わい尽くしたのです。神様がただ現れてぱっと消えてしまわれたのであれば、あなたは"幽霊が通っていったのを見たのかな?"と言うかもしれません。しかし、神はそこにおられました。そんな経験をしたあとではだれも変わらずに同じでいることはできません。それはおそらくわたしが理解するよりもさらに深くわたしの中に刻みこまれました。神との出会いの力は本当に驚くべきものでした。

 わたしはそこにいただれもその経験をどう表現したらいいのかわらなかったと思います。しかし、わたしはそれより以前にさまざまな形で主を経験していたので、神様がそのような驚くべき業を行われた後はすぐに敵も行動を開始するということもわかっていました。敵は洪水のように押し寄せてきます。何が起こったかというと、教会の人数が爆発的に増えました。わたし達60名がチスルハーストで神に出会ったという噂は火事のように広まりました。だれもがいったい何が起こっているのか見ようとしてわたし達の教会へ来たがりました。いったいどのように火がついたのでしょうか?実は火がつく技など何もないのです。どうするかという方法などないのです。どう説明したらいいのでしょうか?ステップ1、ステップ2、ステップ3というようなものは何もないのです。それはまったく予期せぬことでした。それを組織することも、あるいは準備することすらできないのです。神様はご自身が選ばれた時に来られるのです。わたしたちが他のだれよりもまさっているからでも、神聖だからでも、聖徒的だからでもありません。また、わたしたちが他のひとびとよりうまく歌えるからでも、手拍子をうまく打てるからでも、うまく踊れるからでもありません。わたしたちはこういったことのどれひとつとして上手ではありませんでした。全然そうではありません。考えうる人間的な理由はありません。神様が来ることを決められたのです。

教会に対する激しい攻撃

 教会に対する激しい攻撃が始まりました。教会が爆発的に膨張し、120名、150名と跳ね上がり、とうとう200名を越えました。短い間に教会は急速に拡大しました。兄弟姉妹のみなさん、それはよくないことです。どうしてでしょうか?ご説明しましょう。これらのひとびとはほとんどが神様に対して真剣ではなかったからです。彼らはみんな一時的に興味を持っただけでした。人数が多いことは必ずしもいいことではありません。深いものだけがとどまり、浅いものは去っていきます。ひとびとはわたしたちの教会が聖霊の満たしを経験したと聞いて興味本位でどっと押し寄せてきたのです。彼らはその祝福の光のおこぼれを、温かさのおこぼれを、テーブルの下のパン屑をもらいたかったのです。その結果、突如として人数が膨れ上がり、彼らはお互いのことをよく知りませんでした。フェローシップの楽しさのレベルが落ち始めました。すべてが弱くなり始めました。お互いのことを本当によく知らないので、ひとびとの間の距離が広がりました。お互いを知るのには時間がかかります。家族としての意識が消えてしまいました。突然わたしたちはものすごい数のよく知らない人たちを目の前にしていました。

 香港でわたしたちの合同キャンプに参加したことのあるひとならわたしの言っている意味がわかるでしょう。突然400名以上のひとびとがそこに集まってきます。たくさん集まるのはいい気分ですが、だれがだれだかわかりません。だれかに会うたびに名前がなにでどこの教会から来たと言うことを名札を見て調べなければなりません。ここでも他の教会から来た人のことを知らないと少しそれに似たような経験をしているかもしれません。しかし想像してみてください。400人ものひとがいたら、限られた時間の中でお互いのことを内容のある意味で知ることは不可能です。みんなが違う教会から来ていたらなおさらお互いを知るのはとても困難です。いくつかの教会ではすでに100名以上のひとがいてお互いを知り合うのがとてもむづかしい状況です。これらがひとつの否定的な結果です。賢明な霊的リーダーがいないと祝福も結局望ましくないものになってしまいます。

教会の不祥事件

 そしてもちろん教会が大きくなると、教会の経済力も大きくなります。教会でひとびとが熱心になればなるほど、献金が多くなるので、収入も多くなってきます。するとどうなるかお分かりになりますか?別の理由で、すなわち教会の資金が目的で教会に来る悪い人たちを惹き付けることになるのです。そうして、間もなくわたしたちの教会で会計係になることを申し出た人がいました。彼の目的は教会の資金を吸い上げて自分のポケットにいれることでしたが、見つかるまでの間かなりのうまく目的をやり遂げていました。この人は東マレーシアの出身で、次第に教会のふたりの会計係りのうちのひとりの職位にまで昇進しました。彼は非常に狡猾なやり方でもうひとりの会計係を中傷して解任されるようにしむけ、それから後任として別のひとが来ないようにどうにか企て、とうとう教会で唯一の会計係になりました。(ところで、彼が解任を企てた会計係もマレーシアの出身で本当は非常にいい人だったので、ひとびとがこの兄弟い対する中傷を信じたのは本当に残念なことでした。)それから彼は帳簿を操作して資金を吸い上げ始めました。

 わたしが今、霊的経験の極致からしばしばそれにともなってくる否定的な側面についてお話していることに注目してください。わたしたちは熾烈な霊的戦いの中にいるのです。これは霊的生活上当然のことなのです。勝利の前進のあとには必ず反撃が待っています。そして間もなくこの反撃が始まりました。この人は何千ポンドもの資金を盗んだのです。わたしたちは彼が帳簿を処分してしまったので彼が実際いくら盗んだのかと言うことは見つけることができませんでした。わたしたちは外部から会計士を呼んで状況を査定してもらいました。その損失は莫大な額でした。

 用心深く警戒していなければならないということがお分かりいただけたと思います。このことが暴露された時、この会計係は速やかに消えてしまいました。しかし彼は姿を消す前に教会で1番お金持ちの女性と結婚して東マレーシアに戻りました。こういうことが教会で起こるのは恥ずべきことでした。それは不祥事でした。わたしたちの牧師は、聖霊降臨という驚くべき体験をした教会でこんな不祥事が起こったことで非常に苦しみ、途方に暮れていました。会計係が莫大な額のお金を持って逃げていってしまったのです。牧師はこれをどうすればいいのか分からなかったので、内緒にしておきたいと思っていました。

 わたしは教会のリーダーのひとりだったので、彼に"牧師、それはだめです。わたしたちは教会で兄弟姉妹に説明すべきです。あれは彼らのお金です。彼らが主に捧げたお金なんです。わたしたちにはこのことを内緒にしておく権利はありません。"と言いました。

 彼は"しかし、それは教会の評判にかかわることだよ。"と言いました。

 わたしは"それは、主にお任せすべきことです。わたしたちは正しいことをしなければいけません。ひとびとがわたしたちのことをどう思うかは二次的なことです。しかし、彼はそのことを明らかにするのを拒みました。

 わたしは"牧師、もしあなたが明らかにしたくないのでしたら、わたしは残念ながら隠蔽の肩を持つことは出来ませんから、お許しいただけるなら、教会を離れさせていただきます。"

 彼は非常に悩み苦しんで、"だめ、だめ。離れないでください。"と言いました。

 わたしは"わたしには他に選択の余地がありません。わたしは隠蔽の片棒をかつぐことはできません。"

 彼は"あなたはどうしたらいいと思うのですか?"

 わたしはこう言いました。"この人は主のお金を盗んだのです。生ける神からお金を盗んでごまかすことはだれにもできません。チスルハーストでわたしたちは神がどれほど現実かということを体験しました。この人を神の手に委ねましょう。彼を生ける神の手に渡すのです。なぜならそれは聖書に書かれているように生ける神の手のうちに落ちることは、恐ろしいことであるからです。(ヘブル人への手紙第1013節)そして神がこの悪事を行う人を取り扱われる時、すべてのひとに神に対する畏怖の念が起こりますから、評判のことなど心配する必要はありません。彼らは神が生ける神だということを知るでしょう。だれも神様のお金を盗んでごまかすことはできません。ですから神様にお任せしましょう。"

 彼は言いました。"でも、わたしにはまだそのようにする自信がありません。"

 わたしは、"それでは、さようなら。わたしたちはここでお別れしなければなりません。"と言いました。そしてわたしは教会を離れました。

 もちろん、結果は最悪でした。というのは彼が隠そうとすればするほど教会のひとたちはもっとそのことについて知るようになりました。わたしは教会を離れたのでそのことについては何も言いませんでした。しかし、その不祥事は口から口へと伝わって、ひとびとは教会を離れ始めました。わたしと一緒に教会を離れたがった人がいました。彼らは"あなたが行ってしまうなら、わたしたちも一緒に行きます。新しい教会を作ってあなたがわたしたちを導いてください。"と言いました。

 わたしは"いいえ、あなたがたには分かっていません。わたしはそういうつもりはありません。"と言いました。

 彼らは言いました。"この2年近く聖書の学びをして下さっていたのですから、あなたはわたしたちの先生です。ですからあなたについていきます。"

 わたしは"いいえ、この教会でわたしは奉仕していただけです。この牧師がこの教会の牧師ですから、神はわたしがこの教会を分裂させるようなことをするのをお許しになりません。正しくても間違っていても彼は牧師ですからたとえわたしが自分の責任でするとしても、神が聖別されたものに盾突くことを神はお許しになりません。神が彼を聖別して牧師とされたのですからわたしは彼に対して盾突くようなことをするつもりはありません。"と言いました。しかし、彼らがわたしにしつこく強いるので、わたしは姿を消すことにしました。わたしはどこに行くかを告げずに消えました。彼らはどこにもわたしを見つけることができませんでした。わたしは"テントのくい"を抜いてどこに行くのかだれにも言わずに姿を消しました。もちろんあとになって何か隠さなければいけないことがあったに違いないから姿を消したのだと言われ、そのことはわたしにとって不利に働きました。でも気にしません。言わせておけばいいのです。教会を分裂させたとは言わせませんでした。本当にそんなことはしていないからです。しかし、結局多くのひとびとがもうそこにはいたくないと思い、教会を離れていきました。

だれも生ける神から逃げることはできない

 こういうことをいうのは神様がお金を盗んだ男をどうされたかということをお話したかったからです。だれも、けっしてだれも生ける神から逃げることはできません。なぜなら聖書で"あなたがたは主にむかって罪を犯した者となり、その罪は必ず身に及ぶことを知らなければならない。"(民数記第32章23節)と言われているからです。彼が帳簿を破棄してしまったので、わたしたちは彼を訴えることができませんでした。できたとしてもそれは非常に困難でした。人間的に言うと、わたしたちにできることはほとんどありませんでした。さらに、彼はすでに英国から去っていましたから、彼を英国に連れ戻して裁判にかけるには逃亡者の引き渡し手続きをしなくてはなりませんでした。彼はほとんどの証拠を処分していたので、そうすることは非常に困難でした。しかし、心配は要りません。神様がなにもかも処理してくださるからです。神様は義と聖において畏れられるべき方であり、また慈悲と善において愛されるべき方であります。これらは決して切り離すことができません。神の教会へ親切であられるためには、悪事を働いたひとに厳しくされなければなりません。しかし、悪人はすぐに自分で身を滅ぼします。

 この男は結婚したばかりの妻とともにマレーシアに戻りました。しかしその時すでに彼の結婚生活は壊れ始めていました。こんな人からいったい何が期待できるでしょうか?実際、彼は結婚生活においてあまりにも不安だったので、妻が逃げ出さないように彼女のパスポートを取り上げました。そんなことが想像できますか?ある日彼の妻はどうにかパスポートを手に入れて(古いものか新しいものかはわかりませんが)、アメリカへ逃げました。彼女が出て行ってしまったと聞いて、彼は激怒し、彼女を追ってアメリカへ行きました。彼女が他の誰かと関係を持っているのではないか思い、狂気と嫉妬にかられて彼女を殺してしまいました。彼女を殺したあと、彼は東マレーシアに戻りました。

 アメリカとマレーシアの間には逃亡犯引渡しの条約が結ばれていて、彼はアメリカへ引き渡されてで告発されました。彼は死刑を宣告され、アメリカで処刑されました。彼は盗んだお金で何ができたのでしょうか?だれも神の裁きから逃れることはできません。神様は罪の処理法を心得ていらっしゃいます。

心地よい神の臨在

 お話することがたくさんありすぎてどこで終わりにすればいいか分かりませんので、最後にひとつだけ選んでお話することにします。わたしがお話するのはまた別のわたしの心に深く刻まれた神の経験についてです。

 その頃わたしはロンドン北部の外国人宣教師クラブというところに滞在していました。わたしがそこにいたのは学生に特別親切にしてくれて1番安かったからです。

 ご存知かもしれませんが、わたしはこの時期信仰によって生活していましたので、いつも神様が備えて下さるのを待たなければなりませんでした。学期の始めに授業料が払えるかどうか全く予想がつかないことが何度もありました。ロンドンでは第1日目、登録の日に支払いをしなければなりませんでした。その一日前まで、わたしには払うお金がなかったことがよくありました。わたしは主の御手にそのことを委ねなければなりませんでしたが、すこしも心配しませんでした。わたしは"主よ、もしわたしに勉強を続けることを望んでおられるのでしたら、資金を備えてください。もしわたしに勉強を続けることを望んでおられないのでしたら、同じく感謝します。わたしにとって学位を持っているかどうかは重要なことではありませんから。神様がお望みでしたら続けます。神様が止めることを望まれる時にはそうします。"と言いました。もちろん、神様がお金を管理されていたので、神様が完全に御支配されていました。

 ですから、続けるかどうかを決めるのはわたしではありませんでした。主は驚くべき方法を用いられました。登録日の当日に学費を払うのに十分なお金の入った無記名の封筒を受け取ったこともありました。

 ロンドン北部にいたので、わたしは自転車で街へ出なければなりませんでした。バス代を節約するためです。埃やディーゼル・バスから出る排気ガスから目を保護するためゴーグルをつけていたので、わたしはいつもロンドンの大気汚染で学校に着くまでにパンダのような顔になっていました。学校に着いてゴーグルをはずすとふたつの丸い型がついていました。顔が真っ黒で目の周りだけが白く残っているのが想像できるでしょう。とてもかわいく見えたのか、わたしが歩いているとみんなにっこり笑っていました。最初はなぜみんなが微笑んでいるのか分かりませんでしたが、鏡を見て気がつきました。これでわたしが当時ロンドンのような大都市を自転車で走らなければならないほど貧乏だったということがお分かりいただけるでしょう。他に自転車に乗っている人はほとんどみかけませんでした。ですから車やバスの間を自転車で走るのはすこし風変わりでした。数ヶ月後、神学校で知り合った兄弟が宣教師として日本へ行くことになり、彼の古いオートバイを安くわたしに譲ってくれました。しかしわたしはオートバイに乗る時もまだゴーグルをつけなければならなかったので、"パンダ効果"は残りました!

 外国人宣教師クラブでのある週末のことです。わたしはバイクに飛び乗って急いで学校に行かなくてもよかったので、ゆっくりと静かな祈りの時間を過ごしていました。お祈りをしていると突然わたしはふと忘我状態に入りました。何が起こったのかわかりませんでした。わたしが天国に運ばれたのか、それとも天が地上に降りてきたのか、突然わたしは別の世界にいることに気が付きました。自分の周りで何が起こっているのかはわかりました。トランスというのがもし自分の周りの環境の意識がないということだとしたら、わたしはトランス状態だったのではありませんでした。自分自身を側から見ていて、何が起こっているのかわからないというような感覚で、夢の中にいるというのでもありませんでした。突然、地上にいながらにして天国にいるような感じがしていました。それはとても神秘的でした。本当にどうのように言い表せばいいのかわかりません。わたしの身体諸器官も精神もはっきりしていて、機敏に反応していて、完全に何が起こっているのかわかっていましたが、それでいてチスルハーストで経験した強い圧倒されるような臨在の御力というより、むしろ天国にいるような穏やかにしみとおるような美しい感覚でした。ほかにどう呼べばいいのか、どう言い表したらいいのかわかりません。すべてが光に包まれているような感じでした。わたしは光の中を歩いていました。闇は全て後ろに押しやられ、わたしは神の御光に包まれていました。見渡す限り、すべてが光り輝いていました。

 最初わたしは外国人宣教師クラブの部屋にいました。そこでわたしは神様との心地より交わりへと連れて行かれました。それはまるで神様がわたしに、"チスルハーストであなたはわたしの恐るべき圧倒するような力を感じてある意味おびえ上がるような経験をしましたが、今日はわたしの穏やかさ、愛、心地よさ、優しさを経験してもらいたい。"とおっしゃっているかのようでした。そこには恐ろしさとはかけ離れた温かく、心地よい神の臨在の感覚がありました。そしてまたそれは完全に予期せぬ時にやってきました。わたしが心の中で自分で心理的に作り出したことでもありませんでした。何もしていないのです。ただわたしは歌を歌っていただけでした。それ以外何もなかったのです。当時わたしはよくひざまずいて祈りましたが、その時は床が固くてひざがひどく痛むのであまり長くはひざまずいていられないなと感じていました。そのことで気が散ってそれ以上集中することができませんでした。そうしてわたしは主とともにより長くいられるようにほとんどの場合座るようになりました。そして神の臨在を体験しました。神の心地よさへと持ち上げられて神様と親しく交わる喜びに浸っていたのはおそらく2時間くらいのはずだったと思います。わたしは何が起こっているのかはっきりとわかっていました。

 わたしは時計を見て、ランチの約束があったことを思い出したので、その2時間の後出かけなければなりませんでした。そこまで歩いて行くには40分くらいはかかるだろうと思っていました。なぜその時オートバイに乗っていかなかったのか憶えていません。詳細は忘れてしまいました。どうして歩くことにしたのか憶えていません。おそらくわたしはその方が交通にあまり気をとられずに続けて神の臨在の中にいられると考えたのだと思います。そのことについては今はよく憶えていないので、それが理由だったのかどうかはわかりません。

 わたしは主に、この心地よい驚くべき体験を感謝しました。わたしが道を歩いている時、神の臨在は消えてしまったと思いますか?いいえ、そうではありません。驚いたことに、わたしが道を歩いている間も神の臨在はわたしとともにありました。わたしはまだ天国にいました。歌にも出てくる正にその通り、イエス様がおられるところ、

主がおられるところに天国があるからです。神様が臨在しておられるところどこでもそこに天国があるのです。わたしは歩きながら、"わたしはまだ地上にいるのだろうか?"と考えていました。なぜ何もかもはっきりと見えているのに、そこに自分がいるという気がしないのだろうか。そこにいるのだけれども、また同時に、そこにはいないというような感覚でした。奇妙に聞こえますか?これは実際体験してみないと、どう説明したらいいのかわかりません。わたしが歩いている間、神の臨在がわたしとともにあったのです。わたしはミーティングの開かれる家の前に着くぎりぎりまでずっと主に感謝し、主を賛美し、主と交わっていました。

 わたしがその家の玄関に着いた時、そこでこの体験が終わったことがはっきりとわかりました。心地よい温かさはまだ残っていましたが、神の臨在はもうわたしとともにありませんでした。扉の前で終わってしまいました。しかしわたしが道を歩いている間中、車が通ったりしている交通の往来の中にも、神の臨在はまだそこにありました。ドアのところまで来た時、まるで主が"じゃここで君をおいて行くよ。わたしとの交わりのこのときはここで終わりにしなくてはならない。"とおっしゃられたかのようでした。

 わたしはドアを開けて入っていく時、心地はよかったのですが、まだ少しぼうっとしていました。部屋へ入って行って空いている席を探しました。全部だれかがすわっていて空いている席はひとつだけでした。彼らは丸になって座っていました。ほとんどが教会のひとびとでした。わたしは空いている席に向かってまっすぐ歩いていって腰掛けました。隣りにはわたしがいままでにまだ会ったことがないひとが座っていました。彼はわたしの方を振り向いて言いました。"あなたはどのように神を知ったのですか?"何故この人はいきなり"あなたはどうのように神を知ったのですか"という質問で会話を始めるのでしょう?わたしは彼の質問にどう答えようかと考えていると、彼が続けて言いました。"わたしがこの質問をしたのは、わたしは自分が神を知るにはどうしたらいいか知りたかったからです。"わたしは彼の名前すら知らなかったのです!

 わたしたちのうちにおられる神の存在が目には見えない聖霊の炎(使徒行伝第23節)のように、他の人を神様に引き寄せるのでしょうか?あなたが座ると誰かが"あなたはどのようにして神を知ったのですか?"と尋ねてくるのです。不思議なのはだれだか知りもしない人が神様を知りたいといってわたしに話し掛けてくることです。わたしはこの青年に話しはじめました。主がまさにその日の午後、彼の命に力強く働かれ、1時間ほど後に彼はわたしとともにひざまずきました。彼は熱心に彼の命を主に委ねたいと願いました。わたしが彼に尋ねたのではなく、彼がわたしに尋ねました。"主に命を委ねてもよろしいですか?"わたしは"承知しました。ここにひざまずいて主に命を委ねてください。"といいました。わたしは主がこのように働かれるのを何度も見てきました。主の御力が事実上人をひざまずかせ、彼らは命を委ねたいと願うのです。それは驚くべきことです。わたしが彼らをゆっくり落ち着かせようとしても進んで行きたがるのです。どうしてわたしに主を妨げることができるでしょうか?そうして、彼は命を主に委ねました。事実、彼はロンドンで医学を勉強するはずでした。主の御力が彼の命に働いたので、彼は医学をやめて主に奉仕する訓練を受けることにしました。彼の支払った代価は非常に高いものでした。なぜなら彼の父親は彼を勘当し、最近まで和解していませんでした。わたしたちは今でも連絡を取り合っています。

主が経験させてくださるのはわたしたちの個人的な楽しみのためではない

 このことから、注意していただきたいのは、主がわたしたちに幾度も経験をさせてくださるのはわたしたちの個人的な楽しみのためではないということです。おそらく主があの日わたしに主との特別な交わりの時を与えて下さった理由はこの人が主に向かうことを手伝うためだったのかもしれません。

 あの経験はわたしだけのために与えられたのではなく、彼のためでもあったと思います。彼は家族に拒絶されることも覚悟していました。彼の父親は医者で、当然息子にも医者になってもらいたいと思っていました。彼の父はまた仏教徒でもあったので、彼の息子が伝道者になると言った時、激怒して二度と口をききませんでした。何年か前にこの兄弟が香港にいたとき、わたしは彼に"お父さんとは和解しましたか?"と尋ねました。彼は"父はいまだにわたしと口をきいてくれません。"と言いました。30年経った今もまだ彼に話し掛けてくれないそうです。それほど彼の父は苦々しく思っていたということです。

主の御言葉を全ての民に宣べ伝える

主がこの証しを通してあなた方を祝福してくださるように祈ります。わたしは主の栄光と主の力強い働きを宣べ伝えよと聖書で言われていることを実行しただけです。今日わたしがやろうとしていたのはこのことです。主の栄光について聞くことはあなたがたにある種の責任をもたらします。だれも主の御言葉を聞いて何らかの形で神ご自身に従わずに去っていくことはできません。あなたが主に正しく従うことができるように主があなたを助けて下さいますように。

                        (つづく)

エリック・チャン牧師(Eric H.H.Chang

1934年中国上海生まれ。様々な出来事を通して主を経験した結果1953年に信仰をもつ。1956年主の導きにより中国を離れ、スコットランド、グラスゴーの聖書訓練学院(The Bible Training Institute: B.T.I)に学び1959年にそこでの訓練を終了。学長アンドリュー・マクベス氏の勧めにより、ロンドン聖書学院(London Bible College)でさらに勉強を続けた後、ロンドン大学で人文科学と神学を専攻。卒業後、主の導きによりリバプールの教会で奉仕。そこで長年の友人でもあったアンドリュー・マクベス師によって聖職任命を受ける。数年後、招かれてモントリオールの教会で奉仕。主はまた大いにその働きを祝福され、1976年に始まった小さな教会が今日25以上の教会へと成長。神の恵みにより唯一の教会の頭であるキリストの支配のもと教会は現在も成長を続けている。

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- Abundant Life
"豊かな命"

- Secret to Happiness
"幸せの秘訣"

- I have a Dream
"私には夢がある!"

- What are You Living For?
"あなたの人生の目標は何ですか?"

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"神を知るようになったか "


 

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