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ChristianDisciplesChurch A Christian Evangelism and Discipling Ministry |
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あなたの人生の目標は何ですか? エリック・チャン牧師による"質の高い命"についての説教集第4話 95年9月 於モントリオール 今日は洗礼式があったので、聖句の中からクリスチャン生活の基本的な問題について話をしたいと思います。 兄弟たちよ。わたしはすでに捕らえたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後ろのものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、イエス・キリストにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。だから、わたしたちの中で全き人たちは、そのように考えるべきである。しかし、あなたがたが違った考えを持っているなら、神はそのことも示して下さるであろう。 (ピリピ人への手紙3章13−15節) この聖句はポスターやしおりなどでよく見かけるので、とてもよく知られています。パウロはすべての成熟したクリスチャンはこのように考えるべきだと言っています。つまりそうあるべきところに自分がすでに達したと考えるのではなく、後ろのものを忘れ、前のものに向かって全てのエネルギーを注ぐということです。私はこの聖書箇所を皆さんに、特に今日洗礼を受けた方に捧げたいと思います。
あなたの人生の目標は何ですか? もし私があなたの人生の目標は何ですかと尋ねたら、あなたは答えることができますか?多くのクリスチャンは、とても敬虔なクリスチャンであっても、クリスチャン生活の目標は何かを明確に答えることができません。それは聖書をもっとよく知ることでしょうか?福音を伝えるために宣教活動をすることでしょうか?私たちがそれに向かって進んで行くべき目前の目標とは一体何でしょうか? 結局、その意味があまり明白ではないことが分かると思います。今日の説教を聞いて、この聖書箇所の意味するところをもう少し良く理解していただけたらと思います。
レッスン1:サダム・フセイン 2週間前、サダム・フセインがまた何か新しいことを思いついたというニュースを見ました。あなた方はあの悲惨な湾岸戦争で彼も何かを学んだはずなのにと思われたことでしょう。しかし、彼は何も学んではいませんでした。クルド族と北西部でひともんちゃく起こそうとしたので、また巡航ミサイルと戦闘機が再びイラクに向かって飛んでいるのです。彼に人生の基本的教訓を学ばせるには一体どうすればいいのでしょうか? しかし、これは多くのクリスチャンの間でも見かけることではないでしょうか?同じことが起こっているのを見かけます。そういう人たちは主にそむくことによって次から次へと苦い経験をしたにもかかわらず、その経験から何も学んでいないように見えます。彼らはそのまま何度も同じ過ちを繰り返すのです。
レッスン2:王家の離婚 ダイアナとチャールズの結婚はまさにおとぎ話のようでした。15年前、全世界中が想像を膨らませました。この美しい一般市民がプリンセスとなり、そしていつの日か英国の女王になるのです!少女なら誰もが夢見る話です!こんなことはおとぎ話の本でしかお目にかかれません。そして今それが、画面で現実のこととなって、ダイアナはプリンセスに、そして未来の女王になったのです。 その上、彼女の結婚した相手は醜い年老いた王様ではなく、ハンサムな王子、未来の英国国王でした!金モールと金ボタンのついた制服に身を包み、脇に剣を携えた、波打つ栗色の髪のハンサムな姿。まさにあらゆる少女の夢です! 次いで、離婚という悪いニュースです。もちろん私たちは全く驚いたわけではありませんでした。もう何年もの間、何か問題があったということを知っていたからです。しかし、離婚が正式に公表された時はとても悲しくなりました。夢が終わってしまったからです。しかし、栄光に満ちた将来を約束され、世の中で手に入る全てかそれ以上を持ったこの美男美女の結婚が何故離婚という結果にならなければいけなかったのでしょうか?あなたはどう思いますか?性格の不一致でしょうか?しかし夫婦は誰しも異なった性格を持っています。2人の人間が全く同じことなどあり得るでしょうか?性格の不一致ということは全ての夫婦が最終的には別れなければならないということでしょうか?利用可能なあらゆる手段と世論の圧力をもってしてもなおこのロイヤル・カップルは彼らの結婚生活を続けることができませんでした。 レッスン3:スーパーマン 3つ目のニュースを見てみましょう。それはクリストファー・リーブのニュースです。彼を誰だか知っていますか?彼はスーパーマンです!青いスーツ姿でスーパーマンを演じるハンサムで長身の精悍な男性です。映画の中で、彼は腕をまっすぐに伸ばして空を飛んでゆくことが出来ます。あなたもスーパーマンのように空を飛べたらいいと思いませんか?しかしリーブには何が起こったのでしょうか?彼は首から下が麻痺しています。彼は落馬して首の骨を折ってしまったのです。背骨の傷害を負った人たちのための義捐金を募るためにステージに運ばれてきた姿をテレビで見た時、もはや彼だということが認識できないほどでした。とても哀れに見えました。彼は車椅子に腰掛けていて人に押してもらわなければ動けないのです。自分で呼吸することさえ上手くできないので、酸素補給のチューブを口にくわえていました。映画の中のハンサムなスーパーマンには絶対に見えませんでした。 このことから何を学ぶことができるでしょうか?彼は卓越した肉体のもたらす栄光の極致から車椅子へと転落してしまいました。これらのことから神様は私たちに何を言おうとなさっているのでしょうか?それはクリストファー・リーブ自身のことについてではありません。彼自身は何も悪いことをしたわけではありません。しかし、そこには人類全てに向けてのメッセージが込められているように思えます。人は、自分は何でもできて、あらゆる問題を解決できると思うかもしれません。もはや神様など必要なく、超人になりさえすれば、人は何でもできるのです。超人になった時、人は神様のことを忘れてしまいます。しかし、今スーパーマンの姿を見て御覧なさい。ハリウッド・スターの中で、他の誰でもなくスーパーマンにこのことが起こったのです。それは単なる偶然と言えるでしょうか?スーパーマンは自分を救うことができないのですから、ましてや他人を救うことなどとてもできません。 自己 − 私たちの基本的問題 これらのニュースに共通した教訓は人間の基本的問題に関することです。人間の霊的な問題はその人自身です。人間の根本的問題とは、また、あなた自身にとっての根本的問題とは何でしょうか?そのことをきちんと処理しなければ、決して問題を解決することはできません。病気を正しく診断しなければ、治療することはできません。もし診断を誤ったら、間違った治療をして患者を殺してしまうことさえあるかもしれません。もし、症状だけを治療するなら、問題の根源を処置することにはなりません。根本的な問題は、自己或いは自我と呼ばれるものです。自己ほど扱いの難しいものはありません。 何故、サダム・フセインはクエートを征服したがるのでしょうか?彼のすることは全て自分に栄光をもたらしたいがためです。彼は古代都市バビロンを再建するのに、一つ一つに彼の名前が刻まれたレンガを使ったほどでした。彼はクエートの征服者として歴史に名を残したいのです。彼はクエート征服よりまださらに大きな野心を抱いていました。もし彼がそこで止められなかったら、一体何処まで行くのか分かりません。しかしあれほど悲惨に打ち負かされた後では、彼も十分教訓を得たはずだと思うかもしれません。しかし、そうではなく、何ものをも彼の自我を妨げることはありません。 あなたを動かすものは何ですか? しかし、彼は私たちとは全然違っていると言えるでしょうか?自分の心の中をのぞいて見てください。あなたが何かをする時の動機は何ですか?もしそれが自分の快楽や満足あるいは栄光のためでないとしたら、いったい何のためにするのでしょうか?人間はいつも自己を満足させたいという欲求のために何かをするのです。 何故、ダイアナとチャールズのような素晴らしい結婚がだめになってしまうのでしょうか?それは自我の衝突が原因です。どちらもお互いに譲ろうとしないなら、何かが壊れてしまわざるを得ないのです。自我の衝突によって結婚は壊れてしまいます。 スーパーマンのイメージはとても魅力的です。何故なら、私たちは反対するものを圧倒する力を持つことを強く望んでいるからです。そうすれば私たちは自分の思い通りに、自分が正しいと思っていることをすることができます。この、"自分が正しいと思っている"という言葉に注目してください。教会内でさえ、衝突することがあります。なぜなら、自分たちが正しくてリーダーが間違っていると考える人たちが教会にいるからです。しかし、リーダーの方では自分たちの方が霊的だから自分たちが正しいと思っているかもしれません。 自我はとても微妙で捕らえ難いものです。私たちは聞こえの良い言葉で、本当の動機を隠してしまいます。それはとても恐ろしいことです。霊的生活において、それは恐ろしいばかりでなく、悲惨です。「私はあなた方より霊的ですから、あなた方がどうすべきかをお教えします。」という例は、男性が女性に「君は僕と結婚することになっている。何故ならそれが神様の御心だと僕には分かっているからだ。僕は君よりもずっと長い間クリスチャンだから、僕は君より神様の御心がもっとよく分かっている。」と言うのに似ています。私は個人的にこのようなことが実際に少なくとも2件起こったことを知っています。クリスチャンも自分が望むことをします。しかし、そうするのに神様の名前を使っているのです。それは間違ったことですが、不幸なことに教会でとてもよくあることです。
私たちを高慢にさせるものを捨て去る パウロが言っていることの背景を理解するのは重要なことです。パウロは歴史から学んだ教訓を忘れるべきだと言ったのではありません。彼が忘れなければならなかったのは、彼が以前尊重していた事です。以前、彼が望んでいたものは、今の彼にとってはくず同然だと言っているのです。それらのことはもはや彼にとっては重要でなくなりました。その代わりに彼は別のものを探し求めていました。それはつまりイエス様を知ることです。さらに、彼はイエス様を知るために他の事は全て忘れてしまわなければなりませんでした。 それは自我に関することです。例えば彼はパリサイ人でした。(ピリピ人への手紙第3章5節、使徒行伝23章6節)パリサイ人であることは今では何か悪いことのように聞こえますが、当時はパリサイ人であるということは大変栄誉なことでした。彼は自分のことを、ヘブル人の中のヘブル人、純血のヘブル人だと言いました。これらの良いことは今や全てゴミとなりました。過去にはそれらが彼のプライドでしたが、今ではもうどうでもいいことなのです。 私たちはどうでしょうか?良い家庭に育ったことを自慢に思ったり、大学の学位を誇りに思っていたりしているかもしれません。今やこれらのことは全て忘れてしまうべきなのです。何故ならこれらのことは自我を高慢にするからです。言っておきますが、プライドほど危険なものはありません。例えほんの少しのプライドでも私たちの心は汚くなってしまいます。今までに一生懸命に祈っても神様が決してあなたの祈りを聞いてくださらなかったことがありますか?心の清い者だけが神様を見るのだと言うことを思い出してください。いつも神様の存在を体験する人もいれば、しない人もいます。その違いはどこにあるのでしょうか?今までずっと自我の問題に取り組んできて、そして今後も更にもっと深くその問題に取り組み続けていく人もいますが、そうしない人もいます。 洗礼−霊的になることの始まり それが霊的生活の秘密です。それでパウロは成熟したクリスチャンは誰しもこのように考えるのだと言ったのです。つまり、それは"自我に関することは全て置き去りにして忘れ、神様のことだけを目指して前進して行く"ということです。もしあなたがそのような心的状態であるなら、あなたの祈りに神様は応えてくださいます。私は自分の神様が必ずそうしてくださるという完全な自信を持っています。これは非常に長い経験に基づくものです。1953年に主の御前に来て以来43年間、思い出す限り、祈りに神様が応えてくださらなかったことは一度もありませんでした。時々、応えてくださるまで待たなければならなかったことはありましたが、それでも必ず応えてくださいました。時には私が祈りの言葉を口にする前に早くも応えてくださることもあります。また、私がまだ祈らないうちから、応えてくださることすらあります。全く驚きました。まだ頼みもしていないのに、もう与えられたのですから。それはまさにイザヤが言ったとおりです。−彼らが呼ばないさきに、わたしは答え・・・(イザヤ書65章24節) 洗礼とはまさにこのことです。つまりこの時点からあなたは後ろのもの−自分本意な野心や利己的なプライドなど自我に関すること全て−を忘れるのです。洗礼で水の中に入る時、過去は過ぎ去ります。キリストと共に死ぬとはどういう意味でしょうか?それは過去が過ぎ去るということです。死人の中からよみがえるというのはどういう意味でしょうか?あなたは新しい方向に向かって前進して行きます。今やあなたは自分自身から解放されて新しいものへと作り変えられてゆくのです。
過去から解放される イエス様はあなたを過去から解放したいと望んでおられます。そういうわけでこの聖句には2つの部分があります。つまり、前に進むためには、まず過去から解放されなければならないということです。原文の"忘れる"という言葉は現在進行形が使われています。つまりそれは許し続けるという意味です。前に向かって進み続けるというのもまた現在進行形で表されています。ギリシャ語で"前に進む"という言葉は英語の"Pressing forward"よりもっと非常に情熱的な意味を持っています。それはまさに使徒の姿をあわらしています。使徒になるということは、前におられるイエス様に後ろからついて行くということです。それでは、後ろにあるのは何でしょうか?それは自分です。何を忘れるべきでしょうか?それは自分です。もしそれができれば、自由とは何かが分かるでしょう。別の言い方をすると、後ろにあるもの、つまりあなた自身を忘れなければ、使徒になることは不可能だということです。そうして、イエス様に似たものになるように、主イエス・キリストに向かって進んで行くのです。
私たちは自分のことで頭がいっぱいです。 そういう人々と話をすると、彼らはいつも自分のことばかり話します。決して自分から離れることがないのです。その結果、しまいには友達が1人もいなくなり、とても孤独になります。自分のことしか話したがらないような人と、誰が話したいと思うでしょうか?多くの人が自分自身に取り付かれていますが、自分自身のことばかり話すのではなく、上手に自分の仕事、好きなこと、嫌いなこと、趣味などについて話し、自分の国の栄光について話す時でさえ、それを自分の個人的な栄光の一部のようにみなしています。つまり言葉で表現することを自分自身から何か他のものに移し変えただけなのです。しかしそれでもなおこのように完全に自分に取り付かれていることが分かります。 教会で、問題があって私の所へ相談に来た人がいました。「私がこうして、私がああして」というように彼女はいつも同じことばかり話していました。他の人たちはもう、聞き飽きてうんざりしていました。色々な同僚たちが彼女を助けようとしましたが、無駄でした。結局いつも同じことの繰り返しでした。何故なら彼女は非常に嫌だと思っている自分の問題について話すことを実は楽しんでいたからです。彼女には自分自身についても、このように"嫌悪しつつ愛着"しているところがありました。とうとう、同僚たちが全員彼女を助けることをあきらめてしまったので、彼女はまた私の所に戻ってきたのです。 「それでは、よろしいですか。もしあなたが本当に混乱の中から抜け出したいなら絶対にどんなことがあっても従わなければいけない指示を与えます。この時点から、あなたが自分自身について話すことを禁じます。2度と自分自身のことを話してはいけません。誰にも、あなたのご主人にさえ、あなた自身のことを話さないのです。」 彼女は開いた口がふさがりませんでした。「自分のことを話さずに生きるなんて一体どうしてそんなことができるでしょう?」それから何が起こったと思いますか?彼女は自分のことを話すのをやめた時、癒されました。彼女は自分自身から解放されたのです。そして自分を忘れることを学びました。それ以来、その指示を守り続けた結果、彼女はとても立派な女性になりました。一時は、彼女がいつも自分のことばかり話すので誰も彼女に話しかけたがりませんでした。しかし今は彼女にはたくさんの友達がいます。何故なら彼女が他の人びとのことを気にかけているからです。
主よ、私に火をつけてください! 有名なアフリカ探検家であり牧師でもある、デビット・リビングストーンはかつて彼の日記にこう書きました。「私には特別な知的才能は無いが、今日私は非凡なクリスチャンになることを決心する。」私たち皆が「私は、主の恵みによって非凡なクリスチャンになることを決心します。それが人生の意義ある目標です!」と言うことを私は願っています。 今日洗礼を受けた方へ、「主に火をつけていただきなさい!そして暗闇の中で光となりなさい!」という言葉を贈ります。私は、神様のためにクリスチャンとして際立ったものにならなければ、クリスチャンになる意味がないと思います。 それは私たちの使命です。教会はすでに火のついていない、情熱のない平凡なクリスチャンでいっぱいです。かつて誰かがウエズリーに彼の説教の秘訣を尋ねました。彼はこう答えました。「私は自分に火をつけます。そして、皆は私が燃えるのを見に来るのです。」ここに"前に進む"という言葉の持つ情熱が見られ、彼は自分が何のために生きているのかを知っていることが分かります。 主があなた方1人1人を霊的炎にしてくださるようにお祈りします。そしてあなた方1人1人が何のために生きているのかを知るようになることをお祈りします。あなた方が自分を忘れて、心をこめてイエス様のようになれるように前に進んで行かなければそのことは起こり得ません。 |
Difficult in reading?
Japanese Series: -
What are You Living For? -
How I come to experience the Lord
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